100年目となる今大会の選手宣誓を務めたのは、鳥羽高校の主将、梅谷成悟(うめたに せいご)選手です。
梅谷選手はある強い思いを胸に、この甲子園の土を踏みしめたのです。
大会が始まる3ヶ月前に、梅谷選手は父の重夫さんをガンで亡くしました。
病気が発覚したのは、2年前の夏。
その報告を聞いた梅谷選手は、号泣したそうです。
しかしそれでも、重夫さんは試合観戦を欠かしませんでした。
梅谷選手が主将に志願するか迷っていた時も、背中を押してくれたのは重夫さんでした。
「おまえがやれば甲子園に行ける。選手宣誓もやるんや」
その言葉をきっかけに梅谷選手は主将となりましたが、春の大会は惜しくも敗退。
車椅子で観戦に来ていた重夫さんは、帰宅した梅谷さんに「夏は勝てよ」と激励したそうです。
しかし重夫さんはその日の深夜に救急車で運ばれ、一週間後に息を引き取りました。
甲子園出場が決まった時、梅谷選手は「夢が叶ったよ」と重夫さんに報告しました。
開会式当日、重夫さんの思いを胸に、梅谷選手は堂々と選手宣誓を行います。
力強いその言葉を、こちらの動画でご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=h6Vw9BBiFgg
「宣誓 1915年8月、第1回全国中等学校優勝野球大会が始まりました。それから100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。この100年、日本は激動と困難を乗り越えて本日の平和を成し遂げました。このような筋目の年に聖地甲子園で野球ができることを誇りに思い、そして支えていただいたすべての方々に感謝して全力でプレーをします。次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います」
宣誓前に、「父が見守っていると何度も感じた」と語った梅谷選手。
天国の重夫さんは、とっても喜んでいるでしょう。
親子二人三脚で勝ち取った、甲子園という夢の舞台。
梅谷選手率いる鳥羽高校は、8月10日に岡山学芸館高と試合を行います。
様々な思いを抱えた選手たちが、精一杯戦う姿を応援したいですね。
スポンサーリンク
スポンサーリンク