1.
「飲み会誘われたら全部いきます!というノリで交流が深まるのは、学生や独身時代までで、妻子がいたら、今日は帰りますとスッと帰るほうが断然かっこいいんやで」
って妻に言われて以来、実践してたら、自分の周りには心地よい関係の人しか残ってないから、つまりそういうことなんだと思う。— Nikov (@NyoVh7fiap) October 17, 2017
2.
誘った人に断られても、相手にも事情があるからと何の感情も持たない人との付き合いは、お互いを受け入れて心地よく長く続く。
誘ったのに断られたことを怒る人、しつこい人、異常に残念がるような人は、相手が自分通りに動かないことに抵抗が強いので、後の人間関係にもその部分が影響出てくる。 https://t.co/gujH3LR5dI
— HaniwaFactoryはTシャツ作家です。 (@haniwafactory) October 17, 2017
3.
身近な人に対しては、「何をしてあげられるか」以前に、そもそも「邪魔をしない」だけで十分。大きな決断をしようとしている人に、よかれと思って色々アドバイスしたくなるのをグッとこらえ、変化しようとする覚悟をそのまんま受け入れてあげるだけでいい。そしてそれが一番むずかしかったりする。
— F太@ひらめきメモの中の人 (@fta7) December 6, 2017
4.
僕は、人間関係において「2・6・2」の法則を持っている。何があっても自分の味方が2割、何があっても自分の敵が2割、時と場合によってはどちらにでも変わる人が6割。ここで大事なのは、敵の2割と理解し合おうなどと無駄な努力をせず「人間であること以外は何の共通点も無い」と割り切ること。
— 小池一夫 (@koikekazuo) January 4, 2017
5.
君を大切に扱わない人や尊敬を持って接してくれない人に君の貴重な時間をくれてやる必要はない。付き合う人間は厳選しろ。人を選んでお付き合いする事は悪い事じゃない。時間は有限なんだ。気の合わない人と時間を過ごしてたら気の合う人と過ごす時間が減っちゃうだろ。大切な時間は大切な人に使いな。
— Testosterone (@badassceo) December 6, 2017
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そもそもの原因がどこにあるのかオレには断言できないけど、いまだに村社会的な思想がオレ達の中には無意識に残っているんだろうな。
よくネタにされることだけど、学生時代に班とかグループを作る時に自分だけのけ者にされて組んでもらえない恐怖とかトラウマになっているのかもしれないし、最近も日本のどこかで現実に村八分にあって裁判になってたしな。
社会人になったらそんな場面なかなかないのに、何でオレ達逃れられないんだろ。
何かわかるかも。
あの「グループで~」とか「〇人1組で~」とか辞めちまえばいいのに。
半端に強制される“仲間意識”が個性を殺すんだよ。
ちょっと話がズレるかもだけど、俺はフリースクール大賛成派。
あんな箱庭に押し込められて心が死ぬぐらいなら、自由に学んで自由に生きる方がいいと思うね。
しがらみが重要だった20世紀から、個人の生き方が尊重される21世紀に移り変わって行くようで、おっさん的は実に心地いい違和感だったりします
しがらみが重要だった20世紀から、個人の生き方が尊重される21世紀に、ちょうど移り変わって行くような感じがして、前向きなおっさん的にはとても心地いい違和感だったりします
5番の方、色々なまとめで見かけるし、言っていることも有益なことでタメになるのだけど…毎度の文章の長ったらしさが気になっちゃうんだよな。言ってもしょうがないけど…
気が合うもなにも
厳選するほど関われる人がいないんだが
大切に扱われもしないし、ぞんざいに扱われもしない
こういう場合は寂しく思っておけばいいんだろうか