おばあちゃんが残した言葉、おじいちゃんが見せてくれる背中。祖父母からはいつも、刻まれた年輪を知らしめるような深みのある言動が飛び出します。今回はとても考えさせられる金言・行動をご紹介。
1.
90歳の祖父が3年前に亡くなった祖母を想って80頁の手作り歌集を作ったと聞き見せて貰いました。
タイトルは半夏生。秘めた情熱。
私の人生史上1番綺麗な愛の歌集でした🎐 pic.twitter.com/lBdMLxO3Ea— 東 真千子 (@machiko801) July 27, 2015
2.
昔ネットで見た話だけど、
歳とってから専門学校に入って国家資格目指したばあさんに対して、孫が
「ばあちゃん、卒業するとき84歳だよ?今さらどーすんの?」
て言ったら、ばあさんが
「いや、でも何もしなくても84歳にはなっちゃうんだよ」
って言い返した話は今でも結構好き。— 野瀬大樹 (@hirokinose) May 10, 2015
3.
歴史を勉強してからマンジって使わないようにするようになった、あと私って本当に知識なしの脳からっぽだと感じた。何事もそうだけど意味や背景を知らずに使うと怖いし、祖母がよく言ってたけど「棺桶まで勉強」これってまじ本気そう。会話ってやっぱり知識がないと無理
— kemio (@mmkemio) March 18, 2018
4.
うちの父方の祖母(大正生まれ)は、とある武家筋の、大正浪漫を地で行くガチものお嬢様だったらしい。(時代の流れでお家が没落して、当時羽振りが良かった呉服商のとこに嫁いで来たっていう小説みたいな人生)
いつも「贅沢の意味を履き違えてはいけない」って言ってたの思い出すなあ。
— ヤマネコ (@ume_yamaneko) September 1, 2016
女子に生まれたからには、きちんと贅沢をしなさいと言われて育った。
「贅沢」とは身の丈に合わない浪費の事ではない。自分に出来る精一杯の範囲で本物を知り、本物を教えてくれた人に感謝するのが「贅沢」なのだと。そうじゃないと偽物で騙そうとする男に引っかかるから、ってw
ばあちゃん強い— ヤマネコ (@ume_yamaneko) 2016年9月1日
5.
祖母は服を沢山持ってたんだけど、どれもこれも婆さんになってから着ると主張して101歳で亡くなるまでずっとくすんだパステルカラーのカーディガンを毎日着ていた。亡くなってから色取り取りのタンスの引き出しを母とのぞいて、何歳になったら婆さんになるつもりだったのかと笑った。
— いぬ (@vitawan) April 17, 2015
6.
夫祖母は93歳でひとり暮らし。小さい畑を耕し衣服も縫ったり編んだり自給自足ぶりがすごい。一昨日も土産を持って会いに行ったけど、畑は涼しい朝方に仕事、日中の暑いうちは家の奥の涼しいとこで手仕事をして過ごし、喉が渇いたら自作の梅シロップを水で割って飲む。生きることのプロっぷりがすごい
— 774@う125-し89 (@na74) July 17, 2018
7.
祖母がよく戦時戦後の話を聞かせてくれた。「死のうと思えば何でも出来るなんて大嘘だよ。死ぬ気でやっても一人前になんてなれない。そう言い聞かされて本当にたくさんの人が死んでいったんだ。そして言い聞かしたヤツは生き延びたんだよ。」時代は平成最後、祖母の話は今も私の中で生きている。
— まる@グラブルは栄養 (@LICAMARU) September 19, 2018
なんかすみません💦
私は元IT業界人なんですけど働き方を心配されてました。うちのおばあちゃん「年寄りより若い子が大事」でして徴兵や特攻隊が発端らしく、若い子の不幸を耳にするたび「今の時代なら辞められる、自分を大切にな」とのこと。102才で元気です!— まる@療養中 (@LICAMARU) 2018年9月19日
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