古くから佇むその荘厳さから、信仰の対象となり、多くの芸術作品に取り上げられてきたことから、2013年に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」として世界遺産に登録されました。
そんな富士山は修験道(しゅげんどう。山の中に籠り、厳しい修行を経て悟りを得ることを目指す山岳信仰)にも通じており、現在でも修行として富士山を登る人がいます。
今回は修験者が富士山を登るルートを、スポットの情報と共にご紹介します。
登る前に麓から紹介
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
世界文化遺産「富士山—信仰の対象と芸術の源泉-」の価値を証明する構成資産の一つ。 現在の浅間大社の建物を建てたのは徳川家康です。
富士山の神水が湧く場所だったため、ここに建てられたといわれている。
室町時代に、当時の人々が頂上を目指す様子が描かれた「絹本著色富士曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくふじまんだらず)」が宝物として保管されています。
ということで、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社にやってきました。ここは上記で紹介された絹本著色富士曼荼羅図にも描かれている由緒ある場所です。
今回のトレッキングは、現在一般客が登ることはほとんどない、知る人ぞ知る登山ルート。そのため「富士山ネイチャーツアーズ代表 岩崎さん」にガイドとして同行してもらった。
「今回のコースは絹本著色富士曼荼羅図に描いてあるルートに沿って、5合目まで登っていきます」
「確か5合目までは車で行けましたよね」
「多くの方は5合目まで車で行き、そこから山頂を目指して登山します。しかし、富士山は頂上だけでなく、麓や5合目までも魅力であふれているんです。今日は修験者たちが実際に登った村山道を通っていきます」
「初登山で、修行していた人と同じルートって大丈夫なんでしょうか・・・」
かつての修験者が、ここで身を清めてから、富士登山に挑んだという。それに倣って僕も、この富士山本宮浅間大社で参拝をし、挑むことにしました。
「寒いのは嫌なので、天候に恵まれますように・・・」
煩悩にまみれた願いを叶えてくれるのでしょうか。そして即効性があるものなのか気になるところです。
「村山道は、平安時代に末代上人(まつだいしょうにん)という僧侶が、修行のために登った(登拝)のが始まりといわれています」
「平安時代って今から1000年前とかですよね。その文化がまだ続いているって、とんでもない歴史ですね」
「当時、山頂には仏の世界があるといわれていて、曼荼羅図にも山頂には阿弥陀如来、薬師如来、大日如来の3体の仏様が描かれているんですよ」
「当時は登山ルートもろくに整備なんてされていないでしょうし、それだけ富士山頂は神聖な場所だったんですね」
富士山本宮浅間大社 湧玉池(わくたまいけ)
富士山に降った雨や雪が地中に染み込み約20年という年月をかけて、岩盤や地層でろ過されてここにたどり着く。ここも国の特別天然記念物に登録されている。
多くの歌人にうたわれており、「御手洗川」として登場する和歌が数多くあります。
「めちゃくちゃ綺麗な水ですね!飲んでも罰当たりませんか?」
「死にはしませんが、煮沸消毒してから飲むように推奨していますね」
水温は一年間を通して13~14℃を保っており、冬でも凍ることはないという。その様子も当時の人には神秘的だったことでしょう。
「平安時代の修験者の道を歩む前に、一ヵ所寄り道をしていきましょう」
山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)
「ここはどこですか?富士山がきれいですね」
「平安時代よりさらに前。登って信仰する登拝が行われる前は、遥拝(ようはい)といって、遥か遠くからこの富士山を拝んで信仰していたんです。目の前の盛り上がっている場所は、富士山から流れ出した溶岩が止まった場所。怒りが静まった場所として、ここに遥拝所がつくられたんです」
「ここから富士山を拝み、信仰していたんですね」
「実は、現在も行われている登拝(信仰として富士山を登ること)が始まったのは平安末期。それまでは噴火活動が活発で登ることができなかったので、このような遥拝が主流だったんです」
「そのような信仰の仕方もあったんですね!歴史を肌で感じるというか、教科書で読むよりこっちのほうが好きです」
村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)
「富士山本宮浅間大社で身を清めた修験者は、ここ村山浅間神社にたどり着きます。ここの特徴は、神仏習合の形をまだ残していることです。神様と仏様を同一視する考えで、この形式を残しているのはとても珍しいんですよ」
こちらは仏様を祀っている冨士山興法寺大日堂(ふじさんこうぼうじだいにちどう)。
明治初年まで興法寺と呼ばれていた村山浅間神社。その中心的な建物であり、木造大日如来坐像(もくぞうだいにちにょらいざぞう)や役行者像(えんのぎょうじゃぞう)が祀られています。
冨士山興法寺大日堂の隣に建っている、こちらは村山浅間神社社殿(むらやませんげんじんじゃしゃでん)。
主祭神(祀られている神様の中で最も中心的な存在)は、富士山本宮浅間大社と同じコノハナサクヤヒメ。
「神道と仏教、神社とお寺が同じ敷地にあるって初めて見ました」
また、ここには樹齢推定1000年ともいわれるご神木がある。その巨大さは圧巻の一言。
「巨大すぎて、カメラの画角に収まらない。平安時代、修験者が登拝でここを訪れた際に、この木は既にあったと考えると、不思議な気持ちになります」
「ここで参拝を済ませた修験者たちは、ここからまた富士山頂を目指します」
札打場(ふだうちば)の大ケヤキ
「目的地は森の中にあるので、軽くトレッキングしていきましょう」
「一気にトレッキング感が出てきましたね!心なしか空気が美味しいです」
標高840m地点。たどり着いたこれが札打場の大ケヤキ。
幹回り約3.5mの立派なケヤキで、入峰(にゅうほう)した修験者が札打ちをしたとされる跡地にあり、現在はこのケヤキに登山客らが願いを記した札を打っています。
かつては、村山浅間神社から約2km先にあった「発心門(ほっしんもん)」という大鳥居で札打ちをしていたそうですが、現在その発心門の明確な場所は分かっていないそう。
中宮八幡堂(ちゅうぐうはちまんどう)の馬返し跡、女人堂跡
「はあ、はあ。森の中を歩くのって凄い疲れるんですね。でも、どこを見ても緑で癒されます。うわぁあ!!」
「ああ、あれはシカですね。でもなんであんな場所に置いてあるんでしょうか。誰かが持ち帰ろうとして、途中でやめたのかな」
「黒魔術でもやろうとしてたんじゃないですか。シカをいけにえとして・・・」
「前に来た時は下顎がなかったんですけどね。どこかから見つけてきたんでしょう」
「あれが見慣れた光景なの、普通じゃないですからね」
さらに足を進める。あたり一帯は苔が生し、それは神秘的な光景です。
「見てください!『もの〇け姫』の世界みたいですよ!」
「こだまのマネですか?髪が派手なので、浮いてますね」
「赤い服を着ているので、髪の毛以前な気もしますが」
「とはいえ神秘的な風景ですよね。苔がいい味を出しています。これ、触ると凄くふわふわしているんですよ」
標高1450m地点。馬返し跡、女人堂跡に到着。
馬返し跡
今はないが昔は3軒の建物や馬小屋があり、宿泊することもできたそう。
女人堂跡
「今は、ほとんど何も残っていないんですね」
「そうですね。でも、富士山にあるこういった平地は、人為的に整地しないとあり得ません。基本的に何かしらの建物があった跡なんです。よく探してみると陶器のかけらなんかが見つかりますよ」
いざ富士山をトレッキング!
標高1600m地点。高鉢駐車場に到着しました。
ここから本格的なトレッキングになります。
「さて、ここからメインのトレッキングです。しっかり準備をしていきましょう」
「数年前まで、月400時間はゲームをやっていた運動不足の化身です。よろしくお願いします!」
「ちょっと落ちている石を手に取ってみてください」
「これはスコリアといって、富士山が噴火した時の噴出物なんです。このスコリアの下は、大昔に流れたマグマが固まった岩盤になっています。スコリアは水はけが非常に良いので、富士山には基本的に川はありません」
「あれは何ですか?確かに水は流れてないですが、川のあとに見えます」
「枯れた溶岩沢です。大雨の時に一時的に水が流れることはあります。さっき説明した岩盤がむき出しになってますよね。マグマが流れてきたときはドロドロだったので、岩盤も流れるような形状をしています」
川のない富士山だが、多くの植物が生えている。あたりに生えている苔類が保水し、それを他の植物たちが利用することで、富士山の森は成り立っています。
「ちなみにここに生えてるのが、かの有名なトリカブトです」
「え、この草。そこら中に生えてますよ・・・」
「はい、そこら中に生えています。食べたら死んじゃうんで、気を付けてください」
「死があまりにも身近」
「さて、一旦ここで休憩しましょう」
標高1860m地点。笹垢離跡(ささごりあと)に到着です。
笹垢離跡
4体の石像が置かれているが、明治におこった神仏別離により、首が落とされている。直っているものは後世になって修復されたもの。
「首が落ちてるなんて、なんか縁起が悪いですね」
「これ、意図的に首を落としたんですよ。明治元年に明治政府が出した神仏判然令という法律をきっかけに起こった廃仏毀釈運動(はいぶつきしゃくうんどう)が全国で広まる中、富士山中の石像の首を落としたといわれています」
「山を登って、石造の首を落とすって重労働ですね」
「たった2日で富士山中の像の首を落としたらしいですよ。ブラックですね」
今まではあたり一面苔が生い茂っていたが、少し変化がでてきました。
「うわー、森林伐採の現場みたい」
「気が付きましたか?これは人の手で切られたものではありません。この辺りの木は1996年の台風17号による影響で倒木しちゃったんです」
「実はここ、村山道で一番綺麗に富士山頂を見れるスポットなんです。さっきまで雲で見えなかったんですが、こんなにタイミングよく見れるのは奇跡ですね」
「晴れるようにお願いしてきましたからね!」
標高1800mで変化する景色
「ここからどんどん傾斜がきつくなっていくので、注意していきましょう。ゴールまであと少しですよ」
「足首の角度が、マイケル・ジャ〇ソンのゼロ・グラビティだよ・・・」
「はぁ、はぁ。あとどれくらいで到着ですか?」
「あとちょっとなので頑張りましょう!」
「露骨に空気が冷たくなりましたね。木の種類も変わってきました」
「標高1800mを超えてくると落葉広葉樹が減ります。標高で変わる景色や気温も、村山道の楽しみ方の一つですよ。ゴールまであとちょっとなので、無事に登り切りましょう!」
「その『あとちょっと』って150回くらい言ってません?一向にゴールにつかないんですけど」
標高2400m地点。気温が下がり、霧が立ち込めている。
その先にはうっすらと舗装された道路が見えていた。
「あの舗装された道路は・・・!」
「登り切ったぞぉおお!!」
「3時間で登り切りましたね。結構いいペースでしたよ!」
「いやぁ、こんなに自然に囲まれたのは人生で初めてでした!最初は修行用のルートと聞いてビビっていましたが、意外に僕でもいけました」
先ほど霧と言ったが、この白い靄は実は雲。標高2400mなので雲が山肌を伝って移動している。
「富士山=山頂ってイメージでしたけど、このトレッキングで考えが変わりました」
「個人的に、富士山の面白さの7割は5合目より下にあると思っています。山頂だけでなく、これだけの歴史や自然の良さを、より多くの人に知ってもらえたら幸いです」
「でも、かつての修験者たちは、更にここから富士山頂に登ったんですよね。それは、信じられません」
登りきったご褒美は・・・?
「もう疲れて歩けない・・・。なにか食べ物を・・・。せっかく、富士宮市に来たのだから富士宮やきそば食べたい」
「富士宮やきそば」はB-1グランプリで殿堂入りを果たした全国ご当地グルメの王様。それだけでなく、文化庁が選ぶ「100年フード宣言」で、100年先にも残したい地域が誇る食文化に認定されました。
「普段食べるやきそばとは、麺のモチモチ感が全然違う!一気に旅の疲れが癒されるなぁ・・・」
村山道は一般客にほとんど知られていない、知る人ぞ知るルート。
5合目から山頂に登る一般的な富士登山では、見ることのできない自然や歴史が詰まっていた。
しかし、マイナーなルートなので、登る際は岩崎さんのようなツアーガイドへ依頼することをお勧めします。
既に富士山頂への登山経験がある方や、普通とは違ったトレッキングをしてみたいという方は、村山道を通るトレッキングで雄大な自然を肌で体感してみてはいかがでしょうか。
提供:富士宮市富士山世界遺産課
ツアーガイド:岩崎 仁 富士山ネイチャーツアーズ | 富士山ガイド 富士山アウトドアネイチャーツアーガイド | 富士宮市観光協会
富士宮焼きそば&フードバレー公式ガイド:https://machipo.jp/com/fujinomiya
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最高です!ちなみに私は村山浅間神社で最後の「法印」さんと呼ばれた秋山家の孫です!
登山も趣味にしているので、先祖が辿った道をいつか歩きたいと思ってます!