信長サブ1_2229

【イメージ変わる?】11の事実から見る「織田信長って実はこんな人」

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織田信長ってどんな人?

残虐なイメージが強い織田信長であるが、実際のところはどうだったのであろうか。

1.織田信長や豊臣秀吉とも会見した宣教師ルイス・フロイスは自身の著書「日本史」で織田信長について詳細に語っている。

彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、ヒゲは少なく、はなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。いくつかの事では人情味と慈愛を示した。彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。貪欲でなく、はなはだ決断を秘め、戦術に極めて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。彼はわずかしか、またはほとんど全く家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。

2.

自己のあらゆることをすこぶる丹念に仕上げ、対談の際、遷延することや、だらだらした前置きを嫌い、ごく卑賎の家来とも親しく話をした。

3.

信長はほとんど全ての人を『貴様』と呼んだ

 

4.娘デレデレ

「娘を大事にしてくれそうな婿を厳選する」甘い父親とも評されることもある

 

5.世話焼き

自分の妻を尾張に残して岐阜に単身赴任した部下を叱ったり、羽柴秀吉夫妻の夫婦喧嘩を仲裁するなど、家庭内での妻の役割を重視した言動が残されている。

 

6.庶民と仲が良い

身分に拘らず、庶民とも分け隔てなく付き合い、仲が良かった様子が散見される。実際、庶民と共に踊ってその汗を拭いてやったり、工事の音頭を取る際などにはその姿を庶民の前に直接現している。

天正10年の正月に安土城の内部を一般公開し、武士・庶民を問わず大勢の人々を城内に招き入れて存分に楽しませた後、信長自らの手で客一人につき銭百文ずつ見物料を取り立てたという記録が伝わっている。

 

7.男色家は本当?

当時武士たちの間で一般的であった衆道も嗜んでおり、男色相手として前田利家については本人の証言が残っている

 

8.黒人も起用

アレッサンドロ・ヴァリニャーノの使用人であった黒人に興味を示して譲り受け、弥助と名付けて側近にした。記録によると、この黒人は身長六尺二分(約182.4cm)の大男で、「十人力」と称されるほどの怪力であったとされ、信長は単なる好奇心だけでなくこの黒人を実戦の役に立つ兵としても重用していたようである。信長は弥助を気に入り、ゆくゆくは弥助に領地と城を与えて「殿(との、城主)」にするつもりであったが、その計画は本能寺の変により頓挫することとなった。

 

9.お茶が大好き

茶の湯にも大きな関心を示した。これについては、「堺の商人との交渉を有利にするため茶の湯を利用していた」「茶器を家臣への恩賞として利用する目的があった」などといった説があるが、信忠に家督を譲った際に茶器だけを持って家臣の家に移っている(信長公記より)ことから、もともと信長自身が純粋に茶の湯を楽しんでいたようである。

 

10.実は美男子

青年の頃は、女子と見まがう美男子であったとする記録もある。身長は約170cm程度で[86]、500m向こうから声が聞こえたという逸話があるほど、かなり甲高い声であったという。

参照元:wikipedia.org

11.実は本能寺の変で潔く自害していない?

https://www.youtube.com/watch?v=wuI8gisCPQ0

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