パラオは昔から親日なのですが、残念なことに日本人でそのことを知っている方は少ないようです。
それに対してパラオの方々は、私たち日本人が少し驚く「日本からの影響」を受けまくっています。
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1.日本語が普通に使われている
パラオではたくさんの日本語が使われています。
例えば「大丈夫」「どうぞ」「ゴメン」などの何気なく使う言葉や、「扇風機」「浴衣」(パラオには冬がない)といった言葉もあったりします。
2.日本名がよく使われている
シゲオ、クニオ、フミコなどの所謂「日本人の名前」が名字、性別問わず付けられていたりします。
更には「カトウサン」といった「さん」を名前に付けていることもあるようです。
3.日本統治時代のことが教科書に沢山載っている
パラオの国定教科書全462ページの内36ページが日本統治時代のことが記載されており、章には「日の丸の旗のもとに」というタイトルが付けられています。
4.パラオの人は「ハトのうた」を知っている
国民のほとんどが「ハトのうた」を知っており、桃太郎の歌を唄える子もいるようです。
パラオの曲には「アナタシカイナイー!」と唄うラブソングもあるとか。
5.パラオには神社が存在する。
戦前に日本人住民が繁栄祈願のために南洋神社をパラオ:ペリリュー島に建てました。
戦後、日本とペリリュー島酋長が協力して日本兵の慰霊碑も建設されています。
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6.国旗は日の丸を模している
これは非公式の巷説ですが、月は日章旗の太陽と対をなし友好を示すもので、月が中心より若干左に寄っているのははためく時に中心に見えるように、併せて日本に対する畏敬の念の表れであるとしているそうです。
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パラオの親日理由の一つとして、日本統治時代に日本が行った環境整備が結果的にパラオの経済成長を促したことが挙げられますが、その他にもパラオが親日になった理由として挙げられるエピソードは数多く存在します。
7.ペリリュー島での日本軍と島民のエピソード
太平洋戦争の際、ペリリュー島には日本軍が進駐し陣地が作られました。
日本兵と島民はすぐに仲良くなり、日本の歌を一緒に唄ったりしたそうです。
しかし、やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になりました。
島民は話し合い、代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れました。
「自分達も一緒に戦わせて欲しい」
それを聞くなり隊長は激高し
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
と叫び追い返しました。
島民は裏切られた想いで悔し涙を流しました。
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ません。
島民は悄然と船に乗り込みました。
しかし、船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきました。
そして、一緒に歌った日本の歌を歌いながら手を振って彼らを見送ってくれました。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長の姿もありました。
ペリリュー島の戦いで日本軍は3日で終わるとされていた戦いを72日間耐え玉砕しています。
その72日間の戦いで民間人の死者数は0でした。
戦時中のことを知るパラオの老人
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