家康はなんといっても江戸幕府を成立させ、戦国の世を終わらせた立役者。そんな彼がもし現代に蘇ったら?その生涯と功績を辿りつつ、妄想していきましょう。
弱小大名から成り上がり、江戸幕府の基礎を担った英傑
天文11年(1543年)、徳川家康は三河国(愛知県東部)の岡崎城にて、岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まれます。
当時、三河は駿河・遠江を支配する今川義元、尾張を支配する織田信秀の板挟みに遭い、非常に弱い立場にありました。そのせいもあって、家康は6歳から人質に出され、織田家と今川家を渡り歩く肩身の狭い幼少期を過ごします。
しばらくして父の広忠は没し、岡崎城は今川家に掌握されてしまう状態に。青年となった家康も今川家の兵として従軍するようになっていました。
そんな家康の転機となったのが、永禄3年(1560年)の「桶狭間の戦い」です。今川義元率いる2万5千の兵に対し、織田信長がたった数千の兵で奇襲攻撃をしかけ、大逆転を収めた戦ですね。
この戦で総大将の今川義元は討ち死にし、家康は晴れて自由の身に。ここから信長と「清州同盟」を結び、大名として勢力を拡大していくのです。
5ヵ国を有する大大名への躍進
永禄7年(1564年)、家康は「三河一向一揆」を治め、三河を平定。家康は幼名を竹千代、今川家に仕えていたころは松平信康と名乗っていましたが、このころ正式に徳川家康と名を改めています。
そこから武田信玄と同盟を結び、今川氏を滅して遠江(静岡県西部)を平定。天正3年(1575年)には織田家との連合軍により武田勝頼を下し、駿河(静岡県東部)を手に入れます。
そして本能寺の変で信長が亡くなると、旧武田領である甲斐・信濃・上野が領主不在となり、この地を巡って徳川・北条・上杉軍が衝突することに。家康はこの争いを制し、一躍5ヵ国を有する大大名へと成り上がるのです。
関東への移封
信長の死後、権力をもつようになった豊臣秀吉とは、家康が信長の次男・信雄に味方したこともあり、一時的に対立しています。しかし、天正14年(1586年)に秀吉の妹・朝日姫が家康の妻となったのをきっかけに、豊臣家の家臣となりました。
天正18年(1590年)には、秀吉の命により三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5ヵ国をを返上。関東管領として移封され、関東8ヵ国を治める身となります。
当時、関東地方は土壌が荒れ果てており、立て直すには相当な労力が必要とされました。秀吉は力をもちつつあった家康を恐れ、その力を削ぐ目的で関東へと追いやったのです。
しかしこれまでに5ヵ国を治めてきた家康はその経験を活かし、いずれ来る天下の掌握に向け、関東にて順調に地盤を固めていきます。
豊臣政権下での対立・「関ケ原の戦い」へ
慶長3年(1598年)に秀吉が病没すると、秀吉からの遺言により、家康は豊臣政権の幹部・五大老の筆頭となります。
すると家康は、秀吉が大名間の姻戚関係を禁じていたにも関わらず、他大名から息子の嫁を貰ったり、自身の娘を他大名に嫁がせたり。そのほか、独断で大名の領地を加増させるなど、これまでの豊臣政権に反するような行動をたびたび行うようになるのです。
主に政権の実務を担っていた五奉行の石田三成はこれを、「家康が豊臣家を乗っ取ろうとしている!」と問題視。事態は慶長5年(1600年)、「関ケ原の戦い」へと発展していきます。
関ケ原の戦いでは、家康が諸大名に宛て、入念に書状を送っていたこともあり(その数150通以上!)、三成の軍に謀反を起こす者が続出。そのためわずか数時間で決着が着くこととなりました。
この戦を制した家康は諸大名の処遇を決め、全国各地の領土を統制。慶長8年(1603年)には朝廷より征夷大将軍に任命され、江戸幕府を成立させるにいたります。
その後は慶長19年(1614年)、20年(1615年)の「大坂冬の陣・夏の陣」を経て、唯一の抵抗勢力だった豊臣秀頼を下し、以降260年続く太平の世を確立させます。
幼少は人質として耐え、豊臣政権下では荒れ地を押し付けられても耐え抜き、ついには天下統一を成し遂げた徳川家康。彼はその人生を振り返り、こんな名言を残しています。
「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」
以上の経緯を経てもう思い残すことはないと気が抜けたのか、元和2年(1616年)4月、家康は75歳にして病没。死因は鯛の天ぷらがあたったとか、胃がんだったとか…諸説ありますが、いずれにしてもこの時代の人物としては大往生です。質素な食生活と定期的な鷹狩りが健康の秘訣だったといいますよ。
260年間、太平の世を守った『江戸幕府の成立』
徳川家康の一番の功績といえば、やはり戦国の世を終わらせ、天下統一を成したこと。その際に家康が作り上げた組織が江戸幕府でした。江戸幕府の成立以来、日本では大きな戦が起こらなくなります。家康はいかにしてその基盤を担ったのでしょう?
『江戸幕府の成立』で何が起きた?
慶長5年(1600年)、徳川家康は「関ケ原の戦い」を制し、敵方・石田三成側の大名の領地没収、徳川家側の大名の領地加増など、大規模な体制改変を行います。家康はその際、諸大名の領地を以下のように割り当てました。
・江戸周辺や大阪などの都市部:譜代大名(旧来からの家臣)、親藩(徳川家の親戚)
・中国地方や九州など都市部から離れた土地:外様大名(関ケ原の戦い以降、徳川家に準じるようになった大名)
このように、本拠地である江戸周辺を信用のおける譜代や親藩で固め、外様を遠方へやることで謀反を起こせないようにしたのです。
また、元和元年(1615年)には諸大名の統制を行う「武家諸法度」を公布。大名が勝手に城を造ったり、他大名と姻戚関係を結んだりしないよう取り締まり、各国の勢力拡大を抑制します。
大名が江戸へ出仕する参勤交代もこの法律で定められたもの。定期的な遠征で出費をさせ、国力を育てる余地をもたせないようにと考えられました。
このほか朝廷を監視する京都所司代の設置や、公家を統制する「禁中並公家諸法度」の制定など、政権を掌握する手立てにも抜かりはありませんでした。…恐ろしいぐらいの徹底ぶりです。
『江戸幕府の成立』の歴史への影響
江戸幕府は以降、15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行う慶應3年(1867年)まで、約260年に渡って日本を治め続けました。家康の築いた徹底的な管理システムによって、この間に国内で目立った戦は一切起こっていません。
また家康は慶長8年(1603年)から諸大名を江戸に集め、大規模な土木事業を行っています。これは大名を工事に集中させ、謀反を起こす力を削ぐ目的を兼ねたものでした。
この工事をきっかけに江戸城や城下町は栄え、江戸と主要都市を結ぶ五街道なども整備されたことで、東京は日本一の首都へと成長したのです。
あまりにも大きすぎる功績ゆえ、現代でも家康が注目されることはやはり多く、2023年には松本潤さん主演の大河ドラマ『どうする家康』の主人公に選ばれています。そのほか、人気スマホアプリ『モンスターストライク』にも登場していたり。死後数百年経っても休む暇なく引っ張りだこです。
そんな感じで日本史上最大の大挙を成した徳川家康。続いては彼が現代に蘇ったことを想定し、さまざまなシチュエーションで妄想を繰り広げていきます!
もしも徳川家康が学校のクラスメイトだったら?
仲良くするにも注意が必要
もし、あなたが徳川家康と同じクラスになることがあったら、無暗に仲良くするのはやめておいたほうがいいかもしれません。
授業中、廊下や窓の外をよーく観察してみてください。きっとただならぬ雰囲気の男が、家康の動向を監視しているはず。そう、少年期の家康は今川家の人質。周囲の人間だって、下手なことをすれば命はありません。
ただ…今のうちからバレないように家康の味方をしておけば、後々彼が出世したとき、譜代大名として側に置いてくれる可能性も。危険を冒してでも力となるかはあなた次第です。
というか…学校の周りに監視の男なんかいたら、不審すぎてまず通報されるよね。
ケンカの腕はある意味最強
同じクラスの徳川家康くん。すごく温厚な性格なんだけど、実はケンカをしたらそうそう負けない強者でもあります。腕っぷしは特別強くもないんだけど…ケンカの前の根回しがとにかく凄まじいんです。
徒党を組んで挑んでも、仲間は次々に裏切って家康サイドに付いていく。あなたの下駄箱に家康からの書状が届く日も遠くないかも。
もしも徳川家康がインフルエンサーだったら?
家康と一緒に城下町作り。参加者急募!
話題のインフルエンサー・徳川家康のクラウドファンディングがとんでもないことになっている。全国から参加希望者を呼び集めて城下町を作るとか言い出したんだけど…得意の人心掌握術で、参加券を購入する人が続出。資金も人も瞬く間に集まり出した!
東京、大阪に次ぐ第三の都市が出来上がってしまうかも!?
「天ぷらなう」は要注意
鷹狩りに興じる写真などで話題を集めている徳川家康のTwitter。いつもはそんな感じで、どこか微笑ましいツイートが並ぶんだけど…ついさっきつぶやかれた内容にはもはや不安しかない。
「天ぷらなう」
「それだけはやめて!」「家康マジ学ばねえwww」などのリプが殺到している。
みんなの希望の星となる
話題のインフルエンサー・徳川家康はなんと、御年60を迎えるという。これまでの長い下積みを経て近年、急激に台頭したのだ。掲げる目標は「みんなが平和に暮らせる世の中を作ること」。共感したフォロワーたちによって町おこしが行われ、日本はますます活気づいていきつつある。
若いころはいろんな偉い人の下でずっと耐え忍んで、60歳でやっと天下人となった家康。その人生を思うと、何歳からでも夢を追いかけられる気がしてきませんか…?
キャラクターとして現代に蘇っている徳川家康
出世大名家康くん(浜松市マスコットキャラクター)
静岡県浜松市のマスコットキャラクター『出世大名家康くん』は、徳川家康の生まれ変わり。浜松市の副市長として、町おこしに目下奮闘中です。弱小大名から天下統一を成した家康らしく、出世運を授けるご利益があるという話。静岡に赴いたらぜひあやかりたい。
徳川家康(戦国無双シリーズ)
コーエーテクモゲームスから発売されている『戦国無双シリーズ』では、第一作目から一貫して徳川家康が登場。温厚な性格で家臣からの信頼が厚い名君として描かれています。「狸親父」の愛称は、ちょっとずんぐりむっくりな見た目と、外交では本心を見せない狡猾さから…?
現代で家康が勃興させるのはどの都市だろう!
天下統一という、日本史上でもとびきりの功績を残した徳川家康。現代に蘇っても、何かと話題性に溢れる人生を送っていきそうです。新たに都市を勃興させるとして、家康はどの都市を選ぶでしょう?というか現代なら、江戸幕府も東京幕府になるのかな?
ただ…成功と危険はいつも隣り合わせ。お近づきになるにはあなたも命懸けかもしれません。今川家の監視と天ぷらにはくれぐれもご注意を。