あなたはどっちのタイプ?「旦那と郵便局へいったときのお話」に共感の嵐 公開日:2018/06/23 コメントする12 マキマキ 私はどちらでもないですね。 郵便局員さんのセリフのトーンにもよりますが、「事前に連絡をしてください。増員が必要です。」は、「大量持込すると、前もって言ってくださったら、もっとスムーズにあなたの手続きができたのに!」と、高いサービス意識の案内に聞こえました。 返信 2018/06/23 19:45 0 忍者ながはま ポジティブで前向きな受け止め方ですね! もしマキマキさんのような方が上司だったら、とても仕事がしやすくなると思います。 2018/06/25 11:24 0 名無しさん 私は受付の人の言い方で判断するかなぁ 言い方きつ人にはこっちもそれなりの態度になってしまう… 逆に柔らかーく言ってくる人にはあ、すいません…ってなるかな 返信 2018/06/23 21:34 0 忍者ながはま 言い方による部分が大きいので、確かに「何とも言えない」とは思います。 今回の場合、同じように言われたはずの旦那さんと奥さんが全く異なる捉え方をしたので、 どこまでをきついと感じるか、柔らかいと感じるかということにも個人差が出そうですね。 2018/06/25 11:27 0 加計晋三 う~ん。 一字一句違わずに郵便局員の言葉を書いたのかな? その時の表情と口調は? 当事者ではないので正解は「判らん」なのでは。 返信 2018/06/24 11:12 0 忍者ながはま そうですね、「言い方」が分からないと判断が出来ないかとは思います。 どれが正解と言うものではありませんので、勿論「判らん」もアリです。 笑顔で言われてもトゲがあると感じてしまう人、キツめに言われても仕事に真剣に向き合っている故だと感じる人、 言い方に対しての捉え方も千差万別になりそうで面白いですね。 2018/06/25 11:33 0 名無しさん 実際の郵便局員さんがどのようなつもりで言っているかによっては、旦那さんの認知が歪んでいる可能性もあるのでは? もちろん、その場合は『ポジティブシンキング』と言った良い方向性の歪みなので、矯正の必要がある訳ではありませんが。 郵便局員が腹を立てて怒った口調で発言した場合は「怒られた」と言うのは『正しい認知』です。 これに対して「相手がどのような意図で言っていようと、私がポジティブに受け止めればよい」と言った方向で自分の認知を変えるのは良い事ですが、「あぁ、自分の認知は歪んでいるんだ」と自己否定するのはより認知を歪ませる結果に繋がります。 『認知が歪んでいる』と言う決めつけよりも、『認知が歪んでいるかもしれない。他の可能性が無いだろうか?』と多角的な見方をするきっかけくらいに考えた方が良いのではないでしょうか? 返信 2018/06/24 15:29 0 忍者ながはま 「人の気持ちを理解する」というのは難しい…というより、100%の理解は不可能ではありますが、 怒っている人に「怒られた」と感じるのは『正しい認知』というのはその通りですね。 しかし「認知の歪み」について、記事でご紹介した図よりもう少し言及させて頂くと、 怒られたことに必要以上に傷ついてしまうのも、拡大解釈や結論の飛躍からくる「認知の歪み」だと考えています。 その辺りが極端に歪んでしまう方は、「怒られた」という認知自体を断つことも必要かもしれません。 多角的な見方を推奨するということは、素晴らしいと思います。 確かに自己否定する自分を自己否定してしまう…という状態、哲学的になってしまいますし。 2018/06/25 12:23 0 にゃんこの目 怒られたと思ってしまう私。なかなか②のようには思わないですね。 返信 2018/06/24 19:55 0 忍者ながはま 考え方を変えるのは本当に難しいことですね。 ただ、怒られた時にこの記事の内容を少しでも思い出し、 「怒られた」意外の可能性を少しでもを見出せることを願ってます。 2018/06/25 12:25 0 名無しさん 「了解!でも今回はいいんでしょ?ラッキー!」って思いますね、、 返信 2018/06/26 12:30 0 忍者ながはま その考え方も、さっぱりしていて良いですね! 2018/06/26 14:44 0 もっと見る キャンセル ※未記入の場合、こちらの名前で投稿されます ※コメントは、コメントガイドライン をご覧のうえで投稿するようお願いします。 コメントを送信 email confirm* post date* 記事ページへ
マキマキ 私はどちらでもないですね。 郵便局員さんのセリフのトーンにもよりますが、「事前に連絡をしてください。増員が必要です。」は、「大量持込すると、前もって言ってくださったら、もっとスムーズにあなたの手続きができたのに!」と、高いサービス意識の案内に聞こえました。 返信 2018/06/23 19:45 0
名無しさん 私は受付の人の言い方で判断するかなぁ 言い方きつ人にはこっちもそれなりの態度になってしまう… 逆に柔らかーく言ってくる人にはあ、すいません…ってなるかな 返信 2018/06/23 21:34 0
忍者ながはま 言い方による部分が大きいので、確かに「何とも言えない」とは思います。 今回の場合、同じように言われたはずの旦那さんと奥さんが全く異なる捉え方をしたので、 どこまでをきついと感じるか、柔らかいと感じるかということにも個人差が出そうですね。 2018/06/25 11:27 0
忍者ながはま そうですね、「言い方」が分からないと判断が出来ないかとは思います。 どれが正解と言うものではありませんので、勿論「判らん」もアリです。 笑顔で言われてもトゲがあると感じてしまう人、キツめに言われても仕事に真剣に向き合っている故だと感じる人、 言い方に対しての捉え方も千差万別になりそうで面白いですね。 2018/06/25 11:33 0
名無しさん 実際の郵便局員さんがどのようなつもりで言っているかによっては、旦那さんの認知が歪んでいる可能性もあるのでは? もちろん、その場合は『ポジティブシンキング』と言った良い方向性の歪みなので、矯正の必要がある訳ではありませんが。 郵便局員が腹を立てて怒った口調で発言した場合は「怒られた」と言うのは『正しい認知』です。 これに対して「相手がどのような意図で言っていようと、私がポジティブに受け止めればよい」と言った方向で自分の認知を変えるのは良い事ですが、「あぁ、自分の認知は歪んでいるんだ」と自己否定するのはより認知を歪ませる結果に繋がります。 『認知が歪んでいる』と言う決めつけよりも、『認知が歪んでいるかもしれない。他の可能性が無いだろうか?』と多角的な見方をするきっかけくらいに考えた方が良いのではないでしょうか? 返信 2018/06/24 15:29 0
忍者ながはま 「人の気持ちを理解する」というのは難しい…というより、100%の理解は不可能ではありますが、 怒っている人に「怒られた」と感じるのは『正しい認知』というのはその通りですね。 しかし「認知の歪み」について、記事でご紹介した図よりもう少し言及させて頂くと、 怒られたことに必要以上に傷ついてしまうのも、拡大解釈や結論の飛躍からくる「認知の歪み」だと考えています。 その辺りが極端に歪んでしまう方は、「怒られた」という認知自体を断つことも必要かもしれません。 多角的な見方を推奨するということは、素晴らしいと思います。 確かに自己否定する自分を自己否定してしまう…という状態、哲学的になってしまいますし。 2018/06/25 12:23 0
忍者ながはま 考え方を変えるのは本当に難しいことですね。 ただ、怒られた時にこの記事の内容を少しでも思い出し、 「怒られた」意外の可能性を少しでもを見出せることを願ってます。 2018/06/25 12:25 0
私はどちらでもないですね。
郵便局員さんのセリフのトーンにもよりますが、「事前に連絡をしてください。増員が必要です。」は、「大量持込すると、前もって言ってくださったら、もっとスムーズにあなたの手続きができたのに!」と、高いサービス意識の案内に聞こえました。
ポジティブで前向きな受け止め方ですね!
もしマキマキさんのような方が上司だったら、とても仕事がしやすくなると思います。
私は受付の人の言い方で判断するかなぁ
言い方きつ人にはこっちもそれなりの態度になってしまう…
逆に柔らかーく言ってくる人にはあ、すいません…ってなるかな
言い方による部分が大きいので、確かに「何とも言えない」とは思います。
今回の場合、同じように言われたはずの旦那さんと奥さんが全く異なる捉え方をしたので、
どこまでをきついと感じるか、柔らかいと感じるかということにも個人差が出そうですね。
う~ん。
一字一句違わずに郵便局員の言葉を書いたのかな? その時の表情と口調は?
当事者ではないので正解は「判らん」なのでは。
そうですね、「言い方」が分からないと判断が出来ないかとは思います。
どれが正解と言うものではありませんので、勿論「判らん」もアリです。
笑顔で言われてもトゲがあると感じてしまう人、キツめに言われても仕事に真剣に向き合っている故だと感じる人、
言い方に対しての捉え方も千差万別になりそうで面白いですね。
実際の郵便局員さんがどのようなつもりで言っているかによっては、旦那さんの認知が歪んでいる可能性もあるのでは?
もちろん、その場合は『ポジティブシンキング』と言った良い方向性の歪みなので、矯正の必要がある訳ではありませんが。
郵便局員が腹を立てて怒った口調で発言した場合は「怒られた」と言うのは『正しい認知』です。
これに対して「相手がどのような意図で言っていようと、私がポジティブに受け止めればよい」と言った方向で自分の認知を変えるのは良い事ですが、「あぁ、自分の認知は歪んでいるんだ」と自己否定するのはより認知を歪ませる結果に繋がります。
『認知が歪んでいる』と言う決めつけよりも、『認知が歪んでいるかもしれない。他の可能性が無いだろうか?』と多角的な見方をするきっかけくらいに考えた方が良いのではないでしょうか?
「人の気持ちを理解する」というのは難しい…というより、100%の理解は不可能ではありますが、
怒っている人に「怒られた」と感じるのは『正しい認知』というのはその通りですね。
しかし「認知の歪み」について、記事でご紹介した図よりもう少し言及させて頂くと、
怒られたことに必要以上に傷ついてしまうのも、拡大解釈や結論の飛躍からくる「認知の歪み」だと考えています。
その辺りが極端に歪んでしまう方は、「怒られた」という認知自体を断つことも必要かもしれません。
多角的な見方を推奨するということは、素晴らしいと思います。
確かに自己否定する自分を自己否定してしまう…という状態、哲学的になってしまいますし。
怒られたと思ってしまう私。なかなか②のようには思わないですね。
考え方を変えるのは本当に難しいことですね。
ただ、怒られた時にこの記事の内容を少しでも思い出し、
「怒られた」意外の可能性を少しでもを見出せることを願ってます。
「了解!でも今回はいいんでしょ?ラッキー!」って思いますね、、
その考え方も、さっぱりしていて良いですね!