現代っ子が戦慄した「昭和・平成の校則」はいま考えると激ヤバだったな…

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  1. 歴史を学びましょう

    強制丸坊主世代です。1960年代までは部活でスポーツをする生徒がほとんどだったので、それで丸坊主。ですが、問題の根本は必ずスポーツ部に属さなければならなかったそっちの強制の方が重要です。丸坊主はあくまでもその結果に過ぎません。ところが1970年代後半からは学校が荒れる時代に突入します。既に丸坊主は強制ではなくなっていたと記憶していますが(自分も中学高校生時代は髪を伸ばしていました)、荒れた学校は丸坊主が強制されていました。もっとも本物の不良はそれも守っていませんでしたが。いずれにしろ当時の社会情勢を学ぶきっかけにされてください。今の物差しで過去を推し測るのは正しくありません。

    1. トミ子(コメンテイター)

      そうですね。平成の時代で坊主強制は、荒れてた学校なのかなって印象ですよね。体験談提供者さんの入学前の世代に何かあったのかも知れませんね。

  2. スーパー一般人

    私は1992年に中学入学ですが、母校は文化部か運動部など関係なく男子は全員丸坊主、女子はオカッパ頭強制でしたね。

    それだけではなく、学年クラス出席番号をつなげた5桁の数字(3年10組5番なら31005。通称 囚人番号)だけが大きくプリントしてあるA4サイズのゼッケンがジャージの前後に縫い付けてあって、名前ではなく番号で呼ばれていました。

    さすがに人権侵害なのではと地域でも問題になり、ちょうど卒業した後の年からスポーツ刈りまでならOKで、囚人番号が一回り小さくなり氏名も併記されるようになり、さらに数年後は苗字のみの記載になっていました。

  3. みほ

    昭和生まれですけど丸坊主って野球部だけだったけどな〜。地方と東京だと違うのかな?

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