2019年ミュージックステーション初登場のフジファブリックが披露し話題となった『若者のすべて』―。平成ゼロ年代を駆け抜けた志村正彦がいた時代のフジファブリックの名曲です。
リリースされたのは2007年、それからおよそ10年の時を経て、『若者のすべて』は現代を映す楽曲としてリバイバルしました。
今、なぜ『若者のすべて』なのか。時代を超えた名曲の歌詞に込められた意味を考えてみたいと思います。
サビでリフレインされるフレーズ「最後の花火」に描き出される「瞬間の美」
#Mステ ご視聴ありがとうございました!「 #若者のすべて 」も収録されるプレイリストアルバム『FAB LIST 1』と『FAB LIST 2』8/28(水)同時リリースです!
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— フジファブリックStaff (@Fujifabric_info) August 9, 2019
歌の魅力は言うまでもなく、言葉と音楽の絶妙なマリアージュによって完成されるドラマです。『若者のすべて』は、Aメロ、Bメロ、サビというポップソングならではのドラマティックな構成によって展開していきます。
歌でいうところのサビはつまり、ドラマにとってのクライマックスです。作者であれば、このサビ=クライマックスに、自分の一番伝えたいメッセージをしたためることでしょう。
聴者にとっても、このサビ=クライマックスに音楽のダイナミックな波動を受け取り、そこに強いメッセージを受け取ることで、大きなカタルシスを感じることができるはずです。
『若者のすべて』ではサビが3回歌われますが、すべて同じフレーズ「最後の花火」によって歌い出されるのが特徴です。
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スタジオライブではフレデリックの三原健司さんを迎え「陽炎」のスペシャルコラボも披露!
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何年経っても思い出してしまうな
このサビで歌われるフレーズにさらにクローズアップしていくと、「最後」「今年」「何年」という言葉から「時限性」というイメージが浮かび上がります。そして、この「時限性」キ-ワードは「花火」という存在を中心にめぐっていますが、この「花火」もまた「夏」「夜」「散る」「消える」など「時限性」イメージを備え持っています。
サビの頭で、この「時限性」を想起させるイメージを整えた後、サビ後半では人物の切羽詰まった独白のようなつぶやきが唐突に連なります。
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
期待して、それを自分で打ち消して、また期待して、それを打ち消して―。期待と打消しの反復によって自問自答する人物の心拍が手に取るようにわかる絶妙な畳みかけです。そして、このサビ後半のフレーズが前半の「時限性」と掛け合わされることによって、「若者」の特権ともいうべき「はかなさ」や「せつなさ」というナイーブな哀愁を描き出すことに成功しているのです。作者はその限られた瞬間にこそ「若者のすべて」があると謳い上げているかのようです。
「僕」から「僕ら」に人称が変化する意味とは?
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— フジファブリックStaff (@Fujifabric_info) October 11, 2018
2回目のサビが歌われた後ではじめて、人称代名詞「僕」が登場します。
このフレーズからは傷つき打ちのめされた人物像がイメージされ、また「僕」という代名詞からは若者特有のナイーブな自己像が伺われます。
サビ後半で吐露された心情が、この「僕」のものであることが楽曲中盤で分かるという仕組みもまた、作品世界の劇的な展開に一役買っています。そして、この後さらなる劇的展開を迎えます。
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな
3回目のサビを迎えると、後半で変化が訪れます。どうやら主人公である「僕」が困っている様子が伺えます。
2回目のサビまでは思い人に会えることへの期待にとどまっていたのに対し、この3回目のサビを迎えて、ついに思い人と出会いを果たしたのでしょうか。しかし、その出会いはストレートな喜びとして表現されるのではなく、
と述べて、「戸惑い」や「はじらい」といったナイーブな感情をのぞかせる表現となります。2回目のサビまでは「期待と打消し」という自己問答を描き出し、3回目のサビでは「喜びと戸惑い」といった微妙な心の揺れを描き出します。
このサビでの歌詞の変化は、起承転結でいうところの「転」になっているわけですが、ここで着目したいのは、この変化が訪れる前に「僕」という人称代名詞を使って、主人公像を明らかにしたことの劇的効果です。
と描き出される「僕」は、前述のとおりナイーブな人物像として浮き彫りになります。そのナイーブな「僕」を登場させることで、3回目のサビ後半の「喜びと戸惑い」の表現によるナイーブさが一段と引き立ち、ドラマティックな展開が加速していくのです。そして、ドラマはダメ押しの形でクライマックスを迎えます。
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ
「最後の花火」というフレーズにさらに「最後」という一語を加えて「時限性」を盛り上げた後、人称代名詞「僕」は「僕ら」という複数形に変化します。
その「僕ら」が同じ空を見上げているというエンディングイメージは、「僕」から「僕ら」に変化した連帯という広がりが、空を見上げるという広大なイメージと結びついて主人公の未来への期待を浮かび上がらせ、作品の持つメッセージ性を高めることに成功しています。
しかし、それでもなお「僕らは変わるかな」という疑問形を残しているところに、若者らしいナイーブな甘酸っぱさにシンパシーを寄せる作者の真摯な思いを感じさせます。
このエンディングは往生際の悪さすら思わせますが、作者はそのあいまいな心情に「若者のすべて」見出したかのように、その心情を含めて美しさと捉えているのかもしれません。
歌詞に現れた舞台設定によって際立つ「時限性」というはかなさ
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— フジファブリックStaff (@Fujifabric_info) October 11, 2018
歌詞中に現れる季節感や時間表現、美術、道具立てには、作者の思い描く主人公とその世界との距離感が伺えます。作品内に現れた心情を探る上で、その心情がどのような物に囲まれた世界から浮かび上がったものなのかを見つめ、作品考察を深めていきたいと思います。
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている
歌詞冒頭、テレビの中で天気予報士が伝えるのは、真夏のピークが去ったというニュースです。ここで提示されるのは、まばゆく輝く真夏が終わってしまったというイメージであり、そのイメージはこの作品の主要なテーマである「時限性」を際立たせています。
しかし、真夏が過ぎ去ったにも関わらず、街はいまだに落ち着かないような気がしていると述べられます。ここで「気がしている」という不確かな記述が目を惹きますが、これはそのまま主人公のもやもやの心情を表す巧みな語り出しといえるでしょう。続いてBメロを迎えます。
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
時を報せるチャイムという道具立ても、夕方5時と組み合わされることによって「時限性」を浮き彫りにします。そのチャイムの音が、今日は特別に胸に響くという記述、そしてこの日、この時という瞬間を「運命」という壮大なものと結びつけようとするナイーブさを浮かび上がらせることで、よりドラマティックな世界観の造形が目指されています。
ここから一気にサビの「最後の花火」に向かい、劇的な展開はダイナミックに流れていき、歌詞の「時限性」が孕む切迫感を盛り上げています。
途切れた夢の続きをとり戻したくなって
2番のBメロには、街灯の明かりが描かれます。明かりが一つ一つと点いて、帰りを急ぐというイメージにもやはり「時限性」が浮かび上がります。そして、この歌詞の前には次のような歌詞が歌いこまれます。
「運命」「世界の約束」「途切れた夢」という、ファンタジックなイメージを想起させるキーワードが歌いこまれるのも、「若者のすべて」の特徴的な世界観です。
「僕」という存在の了見を「世界」という誇大な存在と結びつけて語ろうとするスタイルは、ゼロ年代に知られるようになった「セカイ系」のスタイルと相似していますが、この作品がそれこそゼロ年代に誕生したという背景を考えると、「若者のすべて」はまさに、この時代の若者の精神を歌いこんだ曲と考えられるのではないでしょうか。
志村正彦の原風景「最後の花火」が象徴する世界観
【志村正彦全詩集】
志村正彦が生前に書き遺した、インディーズ時代からアルバム「MUSIC」まで、歌詞の全てを収録し、2011年に発行した『志村正彦全詩集』が装いを新たに新装版として、本日より一般発売スタート!
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— フジファブリックStaff (@Fujifabric_info) August 28, 2019
サビでリフレインされる「最後の花火」ですが、この「花火」は作詞者・志村正彦の地元である山梨県河口湖で上がる花火がモチーフとされているようです。これは夏の河口湖の代名詞といわれる「河口湖湖上祭」の花火であるといわれています。志村正彦は、高校卒業までを山梨県富士吉田市で過ごしました。フジファブリックの名曲のひとつに数えられる「若者のすべて」は、志村正彦の人生の記憶から編み出されたリアルストーリーなのです。
故郷の空に美しく咲き散る「最後の花火」―。この時限性の美をたたえた原風景は、志村自身の若き日へのノスタルジーと相まって、より象徴的な光景として描き出されました。
この原風景と時限性が強く結びついていることは、志村正彦の作家性を強調し、またこの作品世界の完成度を高めています。
「せつなさ」や「はかなさ」にあこがれる若者に特有なナイーブな心情が、この「最後の花火」という時限性のある風景美と直結して、劇的な感傷を生み出すことに成功しているのです。
まとめ
バンド創始者の志村正彦がなくなって10年、「若者のすべて」はふたたび注目を浴びています。2007年のリリースから時が経ってもなお、その楽曲は新鮮さを失いません。
その要因は、この曲が一時代の若者の風俗を歌った凡百のポップソングではなく、「若者」と「花火」という存在を「時限性」という結合で描き出し、ナイーブな哀愁を実現しているためでしょう。
時代を超えて「若者」にヒットするフジファブリック「若者のすべて」は、J-POPのスタンダードにふさわしい名曲です。
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