自身も日本の高校を中退し、アメリカに留学した経験を持つ孫社長が、留学に旅立つ学生たちに向けて語った16分のスピーチが、今注目を集めています。
https://www.youtube.com/watch?v=xTZRj-as2WI
戸籍に書かれた「無番地」の文字
皆さん自分のね戸籍っていうものを、戸籍の住所っていうものを、そこに生まれた由来みたいなものを、気に留めたことはありますしょうか? 僕は馬鹿なことに、若い時に自分の戸籍の住所というものを、その意味をよくわかっていませんでした。大人になって20歳を過ぎてからですね。戸籍というものを区役所に取りに行く時に、その住所をふと見て、なんで無番地って書いてあるんだろうって思ったんですね。僕は佐賀県鳥栖市五軒道路無番地って、書いてあったんです。普通番地っていうと23番地とか、いろいろ書いてあるんですけど、そこを漢字で「無」って書いたあったんですよ。「無し」という字ですね。その後でふっといろいろと考えて、なるほどそういうことかって思ったのは、佐賀県の鳥栖市の五軒、一軒、二軒、三軒、道の広さ、道の道路の広さを表しているんですけども、そのところの無番地というところで、私は生まれたと生まれ育ったと。ということがその1行の戸籍の住所に、物語られていたということなんです。
漁船に乗って命からがら日本に渡ってきた孫の祖父母
日本に私のおじいさんおばあさんが、どういう形で移民してきたのかよくわかりませんでした。何か聞くところによると、漁船の底の裏に潜り込んで、日本に来たということのようです。嵐の中で沈没しそうな中で、やっと辿り着いた日本。当然住むところがないです。ですから一緒に船で、漁船の底に潜り込んで入ってきた、何人かの家族が住み着いたところというのが、今でいうJR国鉄ですね。鳥栖市の駅のそこから200mくらい離れたところの、本来住所として存在しないところに、トタン屋根で無理くり住む。雨風をしのぐ板を張ってそこに住んでいたと。本来許されてない土地に許されいない形で、勝手に住み着いたということになります。そこから地を這うようにしてですね、生きて何とか生き延びてきたというようなことなんですけども、区役所としては住所を与えなきゃいけないんだけど、正式に認めるわけにはいけない。したがって番地のない駅の脇のですね、本来国鉄が所有している所に、勝手に住み着いている人だけど、戸籍謄本を作らなきゃいけないので、番地を与えるわけにはいけないから、「無」という形で番地のない住所に生まれ育った。これが私の最初の戸籍であります。そういう地を這うような生活の中から這い上がっておりますので、親父がしていた仕事もロクな仕事じゃないですね。日銭を稼がなくてはいけないから、焼酎を作って売るとか、豚を育てて売るとか、空き地を耕して野菜を作るとか、そんな状況でした。
家族を置いてアメリカ留学
孫正義には大きな夢があった
私の父と母がそれから結婚し、私と兄弟が生まれたわけですが、本当にそういうなけなしの状況で育って、何とか人並みの一般の人並みの生活ができるようなレベルまで、収入が立つようになって、働き盛りの親父、僕が中学生の時に血を吐いて倒れました。病院に入院しました。私は入院している親父がいて、中学過ぎた頃にですね、家庭は暗くなりましたよね。働き盛りの親父が倒れて、お袋は毎日泣いているという状況で、兄は高校の一年生でしたけど高校を中退して、家計をを支えるようになりました。そういう中で私は突然、アメリカに留学すると言い出したわけですね。もちろん親戚のおばさん、おじさん、「お前なんちゅうことを言うんだ」と、父が血を吐いて倒れ、母は毎日泣いて暮らして、兄は家族を支えるために高校を中退して頑張っている。お前は贅沢にただ普通に学校に行っているという状況の中で、ましてや家族も家計も苦しいのに、一人で楽しそうにアメリカに留学とはどういうことだ? 親戚のおじさんおばさんにこっぴどく言われました。「お前は冷たいやっちゃな」「何のために行くんだ」「それはいろいろ夢がある」「それはお前の個人の夢だろう?」「家族を支えなきゃいけない今一番苦しい時に、何でそんな勝手な夢を持つんだ?」。僕はその時思ったのは実の兄貴にですね、兄ちゃんありがとうと、家族を支えてくれてありがとう、俺はアメリカに行ってくると。兄貴は「そうか。なんでや?」と聞くわけですね。僕は兄にその時言ったのは、兄貴悪いけど兄ちゃん悪いけど、今家族を支えてほしいと。我が家のうちでは家族の近い未来の問題。それを支えるのは俺は今は兄貴に頼りたい。遠い将来の家族、遠い将来のもっと多くの苦しんでる人たちを支えるために、俺はアメリカに行く
ということで行きました。
国籍はただの紙切れ。みんな同じ可能性を持っている
俺は絶対に証明してみせる
皆さん自分はここにいる人は、ほんんど日本国籍、全員そうだろうと思いますが、僕は十数年前にね、やっと泣きたいほど望んで、日本国籍をいただいくことが出来ました。今でも自分が何人かよくわかりません。二十三代前は中国に先祖がいて、そして韓国に渡って、三代前から日本に名前は孫正義ですね。韓国でも珍しい苗字なんですよ。日本ではもちろんありえない苗字です。ですから 日本で在日韓国人で、何十万人が心で苦しんでいる。いろんな意味合いで
苦しんでいる人たちがいる。僕も子供の時はふと自分で、自殺したいと思えたことがありました。それは国籍問題で悩んだからです。泣きたいほど望んで得た、生まれながらにして自動的に得た国籍ではなくて、泣きたいほどに何で自分だけは日本国籍じゃないんだ。友達がクラスにいる中で、何で自分だけ変わった状況なんだろう。恥ずかしい、隠したい、そういう状況の中で苦しんだわけですけれども、それほど泣きたいほど望んで得た日本国籍。でも多くの同じような境遇の子どもたち、若い在日韓国人の人たちが悩んでいる。僕は彼ら彼女らに、そんなことはないんだ。本当は国籍なんちゅうのはただの紙切れだ。本当はどんなバックグランドであれ、みんな同じ人間だ。みんな1つの人間として尊いんだ。みんな同じ可能性、夢を実現できる可能性を持っているんだ。誰々が優れていて、何々国籍だと劣っている。そんなことはないんだということを、俺は絶対に証明してみせる。自分の人生をかけて証明をしてみせる。だからあえて「孫」という先祖代々の、当時は家族親戚みんな「やすもと」という日本名を名乗っていましたけども、僕は留学して帰って来たら、先祖代々の「孫」という名前を名乗って、自分の国籍の過去も堂々とカミングアウトして、その上で立派に同じレベルの人間として仕事してみせる。多くの人々に貢献してみせるんだ、いうことを心に誓って兄貴と俺は自分自身の幸せ、自分の家族を支えるということに加えて、もっと多くの苦しんでる若い子どもたちに、背中で夢を示したいということを言って、アメリカに発ちました。
世界中の人々に幸せを提供したい
孫正義がアメリカで学んだこととは?
ですから、アメリカに留学して毎日勉強の鬼になりました。勉強の虫じゃないですよ。そんな生易しいものじゃない。もう道を歩く時も風呂の中でも食事をする時でも、寝ている時の数時間以外は全て勉強すると。もちろん英語で。アメリカでですね。家族が泣いている中で同じ一つ違いの兄貴に、中退してもらってまで支えてもらって、血を吐いている親父に何とか喜んでもらいたい。お袋にも喜んでもらいたい。ということで発ったわけなんで、1日1日のアメリカでの生活というのは、遊びほうけてるというわけにはいかない。本当に今の自分が恥ずかしくなるぐらい、その当時は1分1秒を惜しんで勉強してました。多くの学問でアメリカで学んだこと、たくさんありますけども、でもそれ以上に学んだことはですね、そこではいろんな肌の人たち色の人たちが、みんな明るく夢にあふれ希望にあふれ、アメリカンドリームを掴もうとして、一生懸命に仕事をしていると。そして世界で最も進んだ文明や社会システムを持っている。僕はそのことに感動し、いつか日本に帰ったら、必ず世界に誇れるような企業を日本に作りたい。そしていずれその会社がそれなりの規模になったら、世界中の人々に我々の貢献する仕事で、幸せを提供したい。そういうことを誓って勉強しました。ですから今振り返ってみてですね、あの時もしあの16歳の僕が、アメリカに外の国を知らなかったら、それを体験したなかったらと思うとですね、今の僕の人生は全然違ったものになったしまう。僕は結果的にはですね、父は無事体に健康を取り戻し、お袋も今は笑って過ごしたいますし、兄貴も幸せにしております。あの時支えてくれた高校を中退して支えてくれた兄貴がいた。そのお礼をですね何らかの形でしたい。僕が皆さんに支えとなる支援という形でしようと思ってるのは、皆さんの家族とか兄弟が高校を中退してだとか、会社を辞めてまで、あるいは何か特別なことをしての留学を支援する、そういう境遇のときはそれでいいんですけども、先程大臣もアルバイトに明け暮れて、やっと1ヶ月留学出来たということですが、皆さんが少しでも夢と希望にあふれ、多くの人々に貢献できる。そういう道を提供できるのであれば、それが兄貴に対する恩返しであり、親父やお袋に対する恩返しだと、少しでもそういう形で恩返しがしたいと、少しでも皆さんがこの素晴らしい美しい本当に愛しき日本に、皆さんがこれから大人になって高い志で、皆さんの後に続く多くの若者に、そしてお年寄りに貢献できたら、そのことで僕が少しでも間接的に皆さんに応援できたら、そういう思いで今回支援することにいたしました。ぜひぜひこの機会を人生で、この今の皆さんの若い時というのは二度とやってきません。1日1秒を大切にしていただいて、このきっかけをですね、大切にしていただきたい。有意義なものにしていただきたい。心からそう思います。頑張ってください。
出典:トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム 第1期派遣留学生壮行会 支援企業からの激励メッセージ ソフトバンク株式会社 代表取締役社長 孫正義様 - YouTube
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強欲爺の自慢話は聞きたくない。うざ。