ホワイト企業として名高い某社の人とメシ食ったとき、「御社でもプレミアムフライデーやるんですか?」と聞いたら、「いや」。「金曜に早く帰るために他の日の残業が増えちゃったら本末転倒でしょ? だったら毎日ちゃんと定時に帰れるよう調整した方がいい」と言われて後光で目が潰れそうになった。
— カタールの猫 (@Qatar_Cat) February 25, 2017
2.
会社の先輩で1人だけ僕のことを下の名前で呼ぶ人がいて、こないだ一緒に飲んだときに理由を聞いたら「昔飼ってた犬が同じ名前でね。散歩中にほかの犬のウンコをよく食べる犬だったんだけどさ、五年前に死んでね……」と教えてくれたんですけど、ウンコのくだりいる?
— シエ (@s_sh) February 5, 2017
3.
駅アナウンス「京王線は車庫線での断線と倒木の影響で、ほとんどの電車が車庫線で眠ったままの状態です」
そんな詩的表現はいらないし、電車ですらまだ寝てんのに駅で突っ立ってる俺はなんなのだ— ハルカ (@high_low_man) January 17, 2016
4.
体罰と言えば、私の大学の発達障害を専門にしてらっしゃる先生が、「殴れば考え方や行動を変えられるっていうなら、僕、それを言ってる人を殴って考え方が変わるか試してみたいです」って言ってて、なんかすごい納得した。
— 犬井ハク/Hades/通知不調 (@inuhaku) January 17, 2013
5.
一人で過ごす時間が必須という人と全然そうじゃない人は、エラ呼吸と肺呼吸くらいの違いがある気がする。肺呼吸側から見れば「は??なんで水がないと死ぬの???空気中には酸素がもっといっぱいあるよ?」みたいな感じかもしれないけど、死ぬもんは死ぬんだから死ぬんですよ…
— ぼのきち (@bono_kichi) 2017年1月24日
6.
息子が「トイレにお化けが出る」と言って、夜中に一人でトイレに行けないから、息子の大好きなジバニャンが「お化けいません」と言ってる貼り紙をトイレのドアに貼っておけとの嫁からの通達があって作ってみたのだが、ジバニャン自体がお化けなのでは… pic.twitter.com/vwVb8jWq3R
— やねうらお (@yaneuraoh) June 15, 2015
7.
34歳彼氏なしの腐女子が婚活をするドラマをやるらしいんだけど、主演が栗山千明で誰が共感できるんだ?たんぽぽの白鳥にしろよ
— グルメ巻原 (@gurumemakihara) March 7, 2017
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>「殴れば考え方や行動を変えられるっていうなら、僕、それを言ってる人を殴って考え方が変わるか試してみたいです」
少し仏教の話をしよう。
禅宗では坐禅修行の時、警策(けいさく)という棒を使う。修行者が居眠りしたり、雑念で姿勢が崩れたら、容赦なく棒で痛撃を食らわす!
これを体罰と呼ぶのなら、仏教は体罰を肯定していることになる。それを前提に話を進めよう。
仏陀は、戒律の守り方に3つのレベルがあることをお説きになり、それぞれ「上品(じょうぽん)」「中品(ちゅうぽん)」「下品(げぽん)」とされた。
下品の人を分かりやすく説明すると、神社等に寄付などをすれば、それなりに見返りがあるのを期待して行う人のことである。もしくは法律で処罰されるのが嫌だから、悪事を行うのを我慢しているだけの人だ。つまり、心は悪人のレベルだが、形だけ善人の振りをしている人だ。
(つづき)
平均的な人間となることすら難しい凡夫に対し、仏陀は「下品(げぽん)」のレベルで守ることを勧められた。そこで努めて良い行いをし、悪い行いを止めるようにせよ、と仰った。
そうして「下品」ながら善行に励み、悪行をとどめていくと、自然にそれが身につき、いつしか中品のレベルに達していくのだ、と。
これを体罰の問題に応用すると、以下になるだろう。
下品レベルの、さらに最低レベルの人間で、道徳も理解できない人間がいるとしよう。そういう人間には体罰を与えるのも、やむを得ないだろう。やがて体罰の痛みが嫌だから、悪事を行わなくなるだろう。これで下品と中品の境界線ぐらいに到達できるだろう。
そして、その人間も悪事を行わないルールの観念が身につけば、やがて最低限の道徳を理解できるようになるだろう。
(つづき)
いきなり、下品の人間の心や考え方を変えることなんて仏陀にも不可能なのだ。だから、仏陀は「最初は形から入るだけでいい」と、お説きになられた。つまり、一人一人のレベルに合わせた具体的な方法論だ。
さて、今回は「人間の考え方を変えることが大事だ」といったことを誰かが主張したようだ。では、その人は、それを実現するために、一人一人のレベルに合わせた具体的な方法論を提案しているのか?
私には何の方法論もなかったように見えるが。