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思わぬ気付きを与えてくれた「それな!」的発言 7選

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  1. 仏教徒

    >「殴れば考え方や行動を変えられるっていうなら、僕、それを言ってる人を殴って考え方が変わるか試してみたいです」

    少し仏教の話をしよう。

    禅宗では坐禅修行の時、警策(けいさく)という棒を使う。修行者が居眠りしたり、雑念で姿勢が崩れたら、容赦なく棒で痛撃を食らわす! 
    これを体罰と呼ぶのなら、仏教は体罰を肯定していることになる。それを前提に話を進めよう。

    仏陀は、戒律の守り方に3つのレベルがあることをお説きになり、それぞれ「上品(じょうぽん)」「中品(ちゅうぽん)」「下品(げぽん)」とされた。

    下品の人を分かりやすく説明すると、神社等に寄付などをすれば、それなりに見返りがあるのを期待して行う人のことである。もしくは法律で処罰されるのが嫌だから、悪事を行うのを我慢しているだけの人だ。つまり、心は悪人のレベルだが、形だけ善人の振りをしている人だ。

  2. 仏教徒

     (つづき)
    平均的な人間となることすら難しい凡夫に対し、仏陀は「下品(げぽん)」のレベルで守ることを勧められた。そこで努めて良い行いをし、悪い行いを止めるようにせよ、と仰った。
    そうして「下品」ながら善行に励み、悪行をとどめていくと、自然にそれが身につき、いつしか中品のレベルに達していくのだ、と。

    これを体罰の問題に応用すると、以下になるだろう。
    下品レベルの、さらに最低レベルの人間で、道徳も理解できない人間がいるとしよう。そういう人間には体罰を与えるのも、やむを得ないだろう。やがて体罰の痛みが嫌だから、悪事を行わなくなるだろう。これで下品と中品の境界線ぐらいに到達できるだろう。
    そして、その人間も悪事を行わないルールの観念が身につけば、やがて最低限の道徳を理解できるようになるだろう。

  3. 仏教徒

     (つづき)
    いきなり、下品の人間の心や考え方を変えることなんて仏陀にも不可能なのだ。だから、仏陀は「最初は形から入るだけでいい」と、お説きになられた。つまり、一人一人のレベルに合わせた具体的な方法論だ。

    さて、今回は「人間の考え方を変えることが大事だ」といったことを誰かが主張したようだ。では、その人は、それを実現するために、一人一人のレベルに合わせた具体的な方法論を提案しているのか?
    私には何の方法論もなかったように見えるが。

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