明治維新の立役者となった大久保利通。2018年の大河ドラマ『西郷どん』では瑛太さんが演じたことで、注目していた人も多いのでは?日本に急速な近代化をもたらした反面、多くの反感を買ったことから悲劇の死を遂げた人でもあります。

そんな大久保利通が現世に蘇ったら?その生涯や功績を見つつ、妄想を繰り広げてみましょう。


出典:近世明石者信vol.1

明治維新と日本近代化の立役者

文政13年(1830年)、大久保利通は薩摩藩鹿児島城下にて、下級藩士・大久保利世の長男として生まれました。幼少から身体が弱く、武芸の道は早々に諦めたものの、その分勉学には人一倍励んでいた大久保。藩校・造士館の同志には西郷隆盛がおり、ふたりは長く志を共にしていくこととなります。

当時、薩摩藩では次期藩主の座を巡り、島津斉彬、久光兄弟が争う「お由羅騒動」が起こっていました。この一件で斉彬が検挙した薩摩藩家老の密貿易に父・利世が関与しており、嘉永3年(1850年)には大久保も連座させられる形で謹慎処分を受けています。

しかし斉彬が藩主になると謹慎が解かれ、安政4年(1857年)には江戸の薩摩藩邸に出仕。翌年には西郷隆盛の後を引き継ぎ、彼が率いていた精忠組のリーダーにまでなっていきます。

幕末の政権争いで活躍

ここがポイント
大久保利通は、権威の没落していた幕府を朝廷と合体させる「公武合体」を唱え、朝廷主導の政治を行おうとしたワン。やがて長州・広島藩と組んで「王政復古の大号令」を発し、倒幕を図ったワン!


文久元年(1862年)になると、斉彬の死後、藩の実権を握っていた島津久光の側近となり、上洛。幕府と朝廷を合体させる「公武合体」を唱え、朝廷主導のもと政治を動かしていこうと奔走します。

このとき幕府は大老・井伊直弼の暗殺事件や、外国との条約締結問題を巡り、その権威を地に落としていました。しかしこの公武合体の動きで息を吹き返すことに。そして公武合体派の意に反し、政権を再び幕府主導で動かしていこうとします。

これによって慶應3年(1867年)、大久保らは朝廷工作による政権の移行は無理だと判断し、武力倒幕へと踏み切ることを決意するのです。

倒幕の意向が固まると、大久保は長州藩、広島藩との「三藩盟約」の締結、「倒幕の密勅」の詔書を取り付けるなどの活躍を見せました。そして同年、西郷隆盛主導のもと「王政復古の大号令」を発令し、明治政府が成立。政権を巡り、幕府との戊辰戦争へと移行していきます。

「富国強兵」を掲げ、日本の近代化を推進

ここがポイント
大久保は明治政府参議岩倉使節団副師初代内務卿と、新政府のために目まぐるしく働いたワン!内務卿としては、日本を近代化させる「富国強兵」に取り組んだワン

維新後、大久保利通は明治政府の参議に就任。版籍奉還、廃藩置県などの政策を行います。

明治4年(1871年)には外務卿・岩倉具視率いる「岩倉使節団」に副使として参加し、ヨーロッパやアメリカを視察。この経験をもとに欧米の政治制度を導入するべく、明治6年(1873年)に内務省を設置し、初代内務卿となっています。

内務卿として行ったのは、地租改正や徴兵令、そのほか富岡製糸場の創設を始めとする殖産興業の推進など。「富国強兵」を掲げ、日本の近代化を促す政策を推し進めていきました。

しかしこういった明治政府の政策には武士たちの特権を奪う内容も多かったため、大久保は反感を覚えた士族の標的となってしまいます。そして明治11年(1878年)5月14日、皇居へ向かう馬車のなかで襲撃に遭い、暗殺によって生涯を終えるのです。

日本の近代化を推し進めた内務卿としての働き

岩倉使節団の一員として欧米各国の視察へ出向いて以来、大久保利通は内務卿としてさまざまな政策を行っていきました。彼の生涯でも、このころの活躍は特に目覚ましいものがあるといえます。

『大久保利通の内務卿就任』で何が起きた?

ここがポイント
地租改正富岡製糸場の建設で、産業を活性化させたワン!

大久保利通が内務卿として行っていった政策は主に、国内の産業に大きな影響を与えていくこととなります。代表的なものを挙げるとすれば、明治7年(1874年)に施行された「地租改正」でしょう。

江戸時代の税制は、領主に対して農民が米を納める年貢の制度が採用されていました。これを金銭の徴収に変えたのが地租改正。この政策によって国の情勢に以下のような変化が見られています。

税金の額が米の収穫高に左右されないので、国の税収が安定した

これまでの税制では農民の負担が重かったが、商工業を営む者にも平等に税が課せられるようになった

土地の所有権が領主ではなく個人になったので、職業選択の自由が生まれた(土地を売って新たな職に就くも、土地を買ってさらに農業を広げるも自由)

年貢の制度がなくなったので、市場に米が多く出回るようになった

当初は税率を高く設定しすぎたため、農民から反発もありましたが、大久保はすぐに税率を引き下げてこれに対処しています。結果、地租改正は農民のモチベーションアップや職業の多様化につながり、産業を活性化させることに成功したのです。

このほか、国内初の洋式製糸場である「富岡製糸場」の創設も見逃せません。

幕末の開国以来、日本は生糸の輸出で貿易を成り立たせていましたが、需要が高まると共に生産が追いつかなくなり、粗悪品が出回ることが問題視されていました。この問題を解決するために考案されたのが洋式機器の導入で、その模範工場として明治5年(1872年)に富岡製糸場が作られたのです。

富岡製糸場で作られた生糸は海外からの評価も高く、この時期の日本の一大産業として、国を豊かにしていくことに貢献しています。

『大久保利通の内務卿就任』の歴史への影響

ここがポイント
大久保は9人の子息をもうけ、その血筋は現代の政界にも脈々と受け継がれているんだワン!

明治政府が行った政策というのは、武士たちの反感を大いに買うこととなります。

たとえば武士の給料はこれまで年貢によって賄われていましたが、その制度自体、廃藩置県によってなくなってしまいます。このほかにも武士の特権を奪う要因はいくつもあり、憎しみの矛先がどこに向くかといえば、内務卿として内政の指揮を執っている大久保利通です。

結果、大久保は明治11年(1878年)に暗殺されてしまうことに。この暗殺事件は、平成6年(1994年)から平成11年(1999年)にかけて週刊少年ジャンプにて連載された漫画『るろうに剣心』にも登場するなど、明治初期を代表する一大事件として現代に語り継がれています。

大久保は政策の経費が足りなければ自費で賄っていたといい、暗殺時には1億ほどの借金があったのも有名な話です。憎まれ役を買って出たうえ、それだけ自身の身を削ってでも国の改革に邁進したわけですね…。

また大久保は正室の満寿子、京都時代の愛人・おゆうのあいだに9人の子息を儲けており、それぞれが政界や財界などで著名人となっていったことでも、後世に影響を与えています。

特に有名なのは外務大臣、宮内大臣などを歴任した牧野伸顕。牧野家の養子となったため苗字は違っていますが、大久保にとっては次男にあたります。

そして牧野の娘婿は内閣総理大臣を務めた吉田茂で、さらにその孫の代が麻生太郎副総理。その血は現在の政界のトップにも、脈々と受け継がれているのです。

明治時代の近代化の立役者となり、後世にもこれだけの影響を及ぼしている大久保利通。続いて、彼がもし現代に蘇ったらどうなってしまうのか、妄想を繰り広げていきましょう!

もしも大久保利通が上司だったら?

クレーム処理はお手のもの

幕末の世において、倒幕の密勅を取り付けるなど、裏工作に奔走した大久保利通部長。現代でもクレーム処理はお家芸です。でも、あんまり頼りすぎるのもおすすめしないかも?ヒートアップしすぎると、取引先企業が幕府の二の舞で倒産しかねません。

飲み会のとき心配になる

大久保利通部長はかなり羽振りのいい人で、飲み会のときはいつも決まり文句のようにこう言います。「今日は俺のおごりだから、みんなジャンジャン飲めよ!」。

さすがは大久保卿、器のでかさが違います!…とは思うんだけど、史実での彼の散り際を知っている僕は、この振る舞いがちょっと怖く感じることもあるんですよね。なんでも一人で背負い込んでしまう人だから…。借金1億円…。

タクシーが馬車

大久保部長の懐具合が気になりつつも、結局飲み会はご馳走になってしまった…。そしてこのあと、部長はタクシーで家路に着くというけど、やってきたのはなんと馬車。大久保利通と馬車…って、もう嫌な予感しかしないんですけど?

「お前もついでに送ってやろうか」と部長は手招きしているけど、乗ってしまったら最後、僕も一緒に明日の朝刊の一面を飾ることになりそうです。

もしも大久保利通が彼氏だったら?

結婚は覚悟が必要


日本を近代化に導いた大久保利通が彼氏なら、あなたもさぞかし鼻が高いことでしょう。でも、結婚を考えている場合は、ほかの男性に比べて相当な覚悟が必要になることだけ覚えておいてください。

仕事が忙しすぎるとか、暗殺されるとかそういう話じゃないですよ。彼の子どもの人数知ってます…?

デートが馬車

大久保利通ともし付き合うとしたら、きっと、家まで馬車でお迎えがくることがあるはず。ここまで読んでくれた人なら、この馬車に乗っちゃいけないことはもうわかりますよね。

でも、注意しなければいけないのは、お迎えだけじゃないですよ!遊園地のメリーゴーランドとか、浅草の人力車とか…デートスポットには"馬車っぽい乗り物"がいたるところに潜んでいるんです!

大久保利通にまつわる現代の事象

大久保利通(るろうに剣心)

漫画『るろうに剣心』に登場する大久保利通は、国民の意志を尊重する志をもった政治家。政府の上層部が腐敗するなか、数少ない理想的な指導者として描かれています。日本の危機を救うべく、剣心に志々雄真実の暗殺を依頼したところ、志々雄の使者によって暗殺されることに…。

大久保利通の茶室「有待庵」が京都で見つかる!

2019年5月9日、京都の歴史研究家・原田良子さんが、大久保利通が幕末の時代に使っていたという茶室「有待庵」を発見。長らく個人所有となっており、所有者も大久保由来の建物だと知らなかったのだとか。ここで岩倉具視や坂本龍馬らと、倒幕に向けての密談が行われていたといいますよ!

頼りになるけど、どこか闇を感じさせる大久保利通

大久保利通は現代に続く、日本の仕組みを形作ったすごい人!しかし多数の武士からの反発や多額の借金など、その生き様には自己犠牲が目立ち、どこか闇の部分を感じさせる指導者でもありました。現代に蘇ったとしても、その闇が足を引っ張るタイミングがきっと訪れるはず。

そのとき彼を救おうとするのか、とばっちりを受けないよう、そっとさよならするのか…すべてはあなたの選択次第です。