それを「乱れ」と捉えるか、「変化」と捉えるかは意見が分かれるところですが、Twiterではこんな表現が話題になっています。
7歳と5歳の娘が「羨ましい」ことを「ずるい」と言う。非常にまずい。
他人が良い目にあってる事はずるくもないし、君が損しているわけでもないと滾々と説教。
そんな言葉を家で使った覚えはないつもりだが、テレビや学校の影響だとしても親の不徳。— 梓弓 (@Ma_R8) August 21, 2017
「羨ましい」と「ずるい」。一見似ている2つの表現。
普段私たちは、人が良い目にあっている話などを聞いた時、おどけて「ずる〜い!」などと言ってしまいがちです。しかし、本来「ずるい」はフェアじゃないことが原因で自分が損をした時に使う表現ですよね。
例えば、お姉ちゃんだけおやつにドーナツ食べたのと、幼稚園のお誕生会でカップケーキを妹だけもらった、では話が違い、英語のnot fair、日本語の「ずるい」か否かの価値判断が入ってくるのは難しく、特に下の娘には、まだ理解できない様です。
お姉ちゃんのやる事は全てやりたい年頃ですし。— 梓弓 (@Ma_R8) 2017年8月23日
梓弓さんは補足として、こうもコメントしています。
価値判断はまだ出来ないにしても、私が「ずるい」と「羨ましい」の混同を恐れるのは、言葉の乱れが主眼ではありません。好ましいとは思いませんが、言葉は時代と共に変化し続けるもので、自分達の世代では使わなかった表現が出てくるのは仕方がないことでしょう。
それよりも「嫉妬の正当化」です。— 梓弓 (@Ma_R8) 2017年8月23日
嫉妬じたいは人間なくせないし、うまくプラスに使えばモチベーションになるでしょう。
しかし誰かが得をしている事は自分の損であるとか、更には不正義である、と言う発想は誰も幸せにしません。
「羨ましい」を「ずるい」と言ってしまう習慣が身につくと、そう言う発想にならないか心配です。— 梓弓 (@Ma_R8) 2017年8月23日
きちんとした価値判断ができる年頃ならまだしも、子どもの頃からこうした表現を混同してしまうのは、将来的に色々な場面で影響が出る可能性もあります。
少々大げさかもと思ってしまいがちですが、梓弓さんは親の責務として、こうした「嫉妬の正当化」が子どもの頃から習慣化してしまうことを、懸念していたのです。
このツイートには親はもちろん、同じく子どもの教育に関わる各方面から意見が届いています。
最近の「ずるい」って言葉、私も気になってました。ひとが真面目に努力して結果を実らせる事がなぜ「ズル」になるのでしょうね・・・いつからこんな使われ方になったのでしょうか。でも梓弓さまは立派な親御さんですね。
— アルフォンス (@Alfons226) 2017年8月21日
学校関係者です。学校の中にある、過剰な平等感は相当に強く、誰かが抜きん出ること=ずるい になっている場面を見かけます。また、違いを認めていくことに、親まで巻き込んでいちいち合理的理由が必要なことも、見ていて怖いです。子供と人生なんて不平等で理不尽だ、と分かち合いたいと思いました。
— halpasomaso (@halpasomaso) 2017年8月22日
既出かもしれませんが、仰る通り「ずるい」はいい言葉では無いですよね。しかしどうやら「ずるい」の「あなたは優位すぎる」という感情面が逆に賛辞に使われるシーンもあるように思います。そういう使われ方でさえ元の「ずるい」のイメージあってのことなので、まずは基本からですね…!
— 新宮泉⊿ (@sngwzm) 2017年8月22日
昔に比べて、様々なシーンで様々な表現に触れる機会が増えた現代。それでもやはり子どもにとっては、「家庭」や「家族」がその中心になるはずです。そんな現代だからこそ、こうした親としての責任が今後一層問われていくのかもしれませんね。
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これ子供達が日常でずるい(正しい意味で)と感じる時が多々あるんじゃないかな…
それが羨ましいとごっちゃになって両方ともずるいで統一されちゃったとか
まあつるっと自分心当たりない、学校やテレビのせいかもって罪を他所になすりつける親を見れば推して知るべしだよね