同僚と別れて、帰途に着くために地下鉄のホームで電車を待つ。ホームは暖かかったけど、代わりに地下独特の鮮度の死んだような空気が頬を撫でた。騒音と共に電車がやってきて、ドアが開く。ふと、僕が並んでいる列の隣のドアには、並んでいる人がほとんどいないことに気付いた。僕は思い切って進路を変更して、空いている隣の車両へ移った。後ろからまばらに何人かが付いてきたし、そんなに移動するならもう旨味はないなと判断して付いてこない人もいた。
乗ってからすぐ足元に、過疎化の原因が広がっていた。誰かが存分にお酒を楽しんだ後の遺産であり、胃酸でもあった。僕に付いてきた誰かが舌打ちをする。それは酷い臭気を放っていて、ミステリーサークルのように人を寄せ付けない空間を車両の中に作っていた。隣の車両に戻ろうか悩んでいると、僕の後から入ってきたほとんどの人がそうしていたのでなんとなく逡巡して、その内にドアが閉まり、電車が出発した。
異臭を乗せて、地下鉄は滑らかに進む。車窓からはネオンきらめく夜の景色が見えるわけもなく、地下空間の無機質なモノクロがフィルムのように明滅していた。変わり映えしない景色が焦燥感を少し刺激する。しかし僅かばかりのその刺激は、日常として自分の中に居場所を見つけていて、もう取り合うほどのものでもなかった。焦りはすぐさま僕に飼いならされ、牙を抜かれている。おもむろに、電車の中吊り広告に「僕の人生を変えた本」というフレーズを見つけ、「僕の人生」という部分を視線が3度ほどなぞった。
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