2コール目で、ボツリという音がした。
「…もしもし、母さん」
『もしもし』
久しぶりに聞く声。すると、急に鼻の奥がピリピリと痛み出して、目元がじんわりと熱を帯びる。
「なんで、こんな時間に起きてるの。電話しといてアレだけどさ」
『うん…電話、来るかもと思って』
そういう人だった。目尻のしわが特徴的な、母さんの困ったような顔が浮かぶ。
そういえば、最後に実家に顔を出したのはいつだろう。背筋のきちっとしたかっこいい母で、子供のころ僕はそれが自慢だった。だけど5年ほど前に腰を痛めてからは、みるみる背中が丸まっていた。
「ごめん。別に、起きて待ってなくても。そっちから電話してくればいいのに」
昨日もこんな時間まで起きていたのだろうか。
『あんた忙しそうにしてるから』
母さんは少し声を大きくして言う。
『でも分かった。ときどきこっちからかけるね』
この言葉を耳にするのも何度目かだった。
他愛無い話をするにはあまりに夜が更けていると思ったし、なかなか報告すべきことも出てこなかったけど、向こうの話にあいづちを打っているとそれだけで無暗に時間は流れた。遠い距離と、しばらくの月日は、僕らを一流の噺家に育てていた。古い友達のように会話は進んだ。
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