「…あ、実はさ。言ってなかったんだけど」
携帯を握る手に、力が入った。
「仕事辛いから、辞めてやろうかと思って」
一度熱くなった目頭は、なかなか言うことをきかなかった。
「ほんと、どいつもこいつも。馬鹿ばっかりだし、そのくせ立ち回りは器用で、他人のことなんて何も考えてないくせにそれを隠すのもうまいし。でも何よりほんと、空気読んだつもりになってペコペコ頭下げてる自分が情けない。言いたいこと言えない性格って良いことないよ。病気だよ」
狭いキッチンの、蛇口からこぼれた水滴だけが、僕の独白を聞いている。通話はもちろん、とっくに切れていた。
電池が勝手に無くなるように、勝手に明日が来なくなれば良いと思った。けれど当然朝日は昇ってきたし、僕は目を覚ました。
せめて僕の電池が切れれば良いのにと念じながら体を起こすと、頭がやたら重いことに気付いた。少し熱っぽい。テレビを付けると朝のショッピング番組がやっていて、よく切れる剪定ばさみの値段が発表されたところだった。本当に、心から、格安だと思った。
支度を済ませ、キッチンを通り、一瞬、流しに置いてあるタッパーに目をやる。家を出て、時計を見て、何も考えずに少し走る。聞こえるわけのないクラクションが、頭の中で反響した。
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僕は言う。
「そんなに簡単に描けるのなら、もっと安い値段でお願いしても大丈夫ですよね?」
クリエイターは言う。
「その値段だとやってくれるプロがいないと思うので、もうご自分で描かれた方が早いですよ」
僕は言う。
「私は絵が描けません」
クリエイターは笑う。
「今は描けなくても、練習すればいつか上手くなりますよ」
僕は笑う。
「そんな風に描けるようになるまで、どれだけの時間とお金がかかると思ってるんですか?」
今夜は早く帰って、肉じゃがを作ろう。
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