今回は、そんなSFの傑作とも言われる『バタフライ・エフェクト』を、「ジェンダー」という観点で読み解きたいと思います。
『バタフライ・エフェクト』作品紹介
あらすじ
たまに短時間の記憶を失うことがあった大学生のエヴァン(アシュトン・カッチャー)は、医師の勧めで少年の頃から日記をつけていました。ある日、エヴァンが日記を読み返していると、日記の中に書かれた過去の時点に戻る能力があることに気が付きます。その後、自分が記憶を失っていた過去のある出来事が、幼馴染のケイリー(エイミー・スマート)の人生を狂わせてしまったことを知るのでした。
ケイリーを救うために、過去の選択肢を帰ることを決意したエヴァンですが、過去を変える度に彼の周りの誰かが不幸になってしまいます。
見どころ
タイムリープが繰り返され、過去から現在に戻る度に感じるハラハラ感がたまらないSF作品です。哀愁漂う雰囲気の映像の中に流れる、オアシスの「Stop Crying Your Heart Out」も頭に残ります。
劇場公開の本編以外に別エンディングが2種類とディレクターズカット版があり、それぞれ異なる4種類の"エヴァンの未来"が描かれているので、違う結末を楽しむことができるのもポイント。また続編『バタフライ・エフェクト2(2006年)』、『バタフライ・エフェクト3/最後の選択(2009年)』も製作されています。
『バタフライ・エフェクト』を"ジェンダー"で読み解く
2つのポイント
『バタフライ・エフェクト』を"ジェンダー"というテーマで読み解く上で注目したいのは、以下の2つのポイントです。
②エヴァンが過去を改変しようとしたきっかけ
これらを踏まえた上で、エヴァンは自身の能力で「ケイリーの未来を自由に選択することができる」という解釈に焦点を当てて、この映画における男女の描かれ方について考えたいと思います。
ポイント①父系の男子にのみ出現する「能力」
まずエヴァンの能力についてですが、劇場版とディレクターズカット版の両方を見て明らかになる事実として、「過去に戻る能力」はエヴァンの父系の男子にのみ出現する力であることが分かります。劇場版でも言及されていたように、エヴァンの父も同じ能力を持っているからです。
ディレクターズカット版では、エヴァンは父の私物から祖父の死亡診断書を見つけ、その診断書を見た彼は、祖父も父と同じように精神病院に入れられていたのではないかと考えます。
さらに、母との食事の後に占い師に手相を占ってもらうのですが、エヴァンの手には生命線がなく、この場にいるはずのない存在だと言われます。その際、母からエヴァンを産む前に2度の流産を経験していることを打ち明けられました。本来であればエヴァンの兄弟になっていたこの2人も、おそらくディレクターズカット版でエヴァンが選んだ未来と同じ未来を選択したのでしょう。
以上の事から、過去に戻る能力はエヴァンの父系の男子にのみ出現する力であることが推測されます。
ポイント②ヒーローとしての主人公
次に、エヴァンが過去を改変しようと決意したきっかけですが、劇場版でもディレクターズカット版でも共通してケイリーが関係しています。言い換えれば「エヴァンは常にケイリーにとってヒーローであることが求められる」、と言えるかもしれません。
初めて過去を改変しようと決意したのは、自分の記憶を取り戻す上でケイリーに会いに行った直後、「必ず迎えに行くって言ったのに、どうして私を迎えに来てくれなかったの?」という言葉を最後に、ケイリーが自殺してしまったことがきっかけ。
その他にも、ケイリーが娼婦になってしまっている世界やケイリーが死んでしまう世界、ケイリーが兄のトミーを殺してしまう世界など、常にエヴァンが過去を改変しようと決意するきっかけには、ケイリーが関係しています。
1つの疑問として、エヴァンはケイリー以外の、例えば母親や幼馴染のレニー、ケイリーの兄であるトミー、子どもの頃の悪戯心が傷つけてしまった母子など、エヴァンの人生の中で関わってきた全ての人を助けたかったのではないか、という考え方もあるのかもしれません。
しかし、冒頭のワンシーンで エヴァンは、「もし誰かがこのメモを見つけたならそれは僕の計画が失敗した証拠、その時僕は死んでいる。でももし僕が最初に戻れたらその時はきっと彼女を救えるだろう」とノートに書きつけていました。ここでもエヴァンは「彼女」、すなわちケイリーに拘っています。
これを鑑みるとエヴァン自身の中では、助けなければならない人としてケイリーが最上位にいるということが分かると思います。もしかすると「ケイリーにとってヒーローであること」が求められるという、時のいたずらによる意志に関わらず、もしかするとエヴァン自らも、常にケイリーのヒーローであろうとしたのかもしれません。
未来を選択できるエヴァン/できないケイリー
ポイント①と②を踏まえて指摘したいのは、エヴァンは「ケイリーの未来を自由に選択することができる」という事実です。少し極端な見方をすると、エヴァンはケイリーを手に入れることができるまで過去を改変することができ、また自分の好みの姿、好みの性格のケイリーを手に入れるまでやり直すことができるのです。
それに関しては、ケイリーが娼婦になってしまった世界で、エヴァンがケイリーに対して2人が恋人だったころの話をするシーンに、その片鱗をみることができます。自分たちが幸せだったころのことを知っておいてほしい、とエヴァンは言いますが、これは裏を返せば、エヴァンの理想形は「ケイリーが恋人になって、皆が幸せな未来」であるということになります。ケイリーに対して「あったかもしれない未来」を突きつけるという行為そのものを、エヴァンのエゴをケイリーに押し付けていると考えることもできるかもしれないのです。
最後に
『バタフライ・エフェクト(2005年)』は、「エヴァンの父系の男子のみが能力を持つ」、「エヴァンは常にケイリーのヒーローでなければならない」という点から、あるいは男性が支配的な立場にある映画であると言うこともできるでしょう。さらにそこに、エヴァンの納得のいく理想のケイリーになるまで過去を改変することができるという見方が加われば、説得力も増します。
劇場版、ディレクターズカット版の両方において、エンディングでのエヴァンの選択は、ケイリーの幸せを願うが故ということが示唆されていました。エヴァンが必ず助けたい、手に入れたいと思っているケイリーを諦める選択をしたという点から、本作は自己犠牲の愛をテーマにしているという見方が一般的です。しかし、ジェンダーの描かれ方を踏まえると、エヴァンのケイリーに対する感情は、エゴイスティックな愛であるという見方もできるかもしれませんね。
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