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知るとより楽しい!「となりのトトロ」の設定あれこれ

「このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。」

糸井重里さんのコピーとともに描かれた、きょとんとした表情の大きな灰色の動物と、その隣に佇む一人の少女。1988年、スタジオジブリ3作目の長編映画として公開された映画「となりのトトロ」のポスターです。

 

「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」の2作に続いて公開され、小さな頃から親しみある方も多いと思います。子どもから大人まで楽しめる作品ですが、実は様々な裏設定があることはご存知でしょうか?知ると少し映画の見え方が変わるような製作の裏側や、ちょっとした豆知識も交えながら、「となりのトトロ」の世界へ、足を踏み入れてみましょう。

1. 単体では公開できないと判断された作品

先述した通り、「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」が世間に認知された状態で製作された「となりのトトロ」。実は単体での製作・公開はリスクが高すぎるため、当初はストップをかけられた作品でもあるのです。今ではスタジオジブリの代表作として名高い作品なので、今聞くと驚きますね。

当時、前作2作のような冒険活劇が期待されている中、「昔ながらの自然の中での、オバケと少女の交流物語」はヒットするかどうかとリスクを問われ、単体での公開にストップをかけられてしまいます。そのため、全く毛色の異なる「火垂るの墓」(監督:高畑勲)との同時公開ということで製作許可が下り、公開となりました。ただ結局のところ、公開当初は興行成績が振るわず、その資金回収のために「魔女の宅急便」が製作されることとなったという裏事情があったのです。

2. ポスターの少女は一体誰?ヒロインが増えた理由とは

では本作のポスターに描かれた少女、一体誰だと思いますか?よく見ると、サツキでもメイでもない女の子なのです。でもサツキのような服装をしているし、メイのような表情。この少女が生まれたのは、宮崎駿監督の「負けず嫌い」に由来しています。もともと、「となりのトトロ」はオバケと「一人」の少女との交流を描く物語で、宮崎監督もイメージボードを描いていました。しかし同時公開となった「火垂るの墓」の尺が、高畑監督のリアリティを追求するストイックな姿勢からどんどん伸びていきます。

サツキとメイが生まれた理由は、宮崎駿の「負けず嫌い」

それに負けじと、宮崎監督が打った手が「一人」を「二人」にしてしまうこと。一人の少女の物語が二人になることで、単純に尺を伸ばそうとした結果、サツキとメイが誕生したのです。ただ、いざポスターを作ろうとしたら、二人の少女だとバランスがとれない。そのため、ポスターを作成した時点でサツキとメイは存在していましたが、バランスをとるために、以前宮崎監督が描き起こしたイメージボードに近づけ、一匹のオバケと一人の少女といった構成になったのだそうです。でもサツキにもメイにも似ている点は、監督ならではの遊び心、そして二人に対する愛着も感じられますね。

3. 美しい舞台のモデルは所沢? 時代設定は?

豊かな緑、広がる田んぼ、きらめく小川。「となりのトトロ」といえば自然の風景が美しい印象を持ちますね。その舞台として、主に知られているのは公開当時宮崎監督が住んでいた所沢ですが、実は様々なところから着想を得ているそう。「耳をすませば」の舞台でもある聖蹟桜ヶ丘や、宮崎監督が幼少期過ごした神田川の流域など。宮崎監督の心に残っていた思い出の風景、その当時美しいと感じた景色がぎゅっと詰め込まれているのでしょう。

時代設定も、昭和30年代と言われることが多いそうですが、監督は肯定しておらず、その少し前の「テレビのなかった時代」と言われています。確かに出てくる電話や、車は古い形が多いですが、大人になるまでそこまで昔の話だとは知らなかった方も多いかも知れませんね。それほどまでに自然に、登場人物たちが生き生きと暮らす様子が描かれた映画です。

4. サツキとメイの家は、療養用の家だった?

まっくろくろすけが住む、草壁一家の新居。庭がとっても広いけど雑草も生い茂っていて、よく考えると少し不思議なお家です。本作中では明かされませんが、このお家、結核患者を療養させるために建てられた家だと宮崎監督は考えています。そして実は未完成のお家なのです。裏設定としては、病人(結核患者)を療養させるために建てた別荘だそう。しかし、療養していた人がちゃんとした庭が作られる前に亡くなってしまい、空き家になってしまった、ということだそう。洋間(お父さんが小説を執筆している部屋)の日当たりが良いのも療養させる家だから。そして、当時農業を主な生業にしている家庭が多い中、用水路や田んぼからも離れているのは、そういった農作業を必要としない家だかったからなのです。

草壁一家があの家を選んだのは、入院中のお母さんが退院したときに空気の綺麗なところに住めるように。お母さんのことを大事に思う、草壁一家らしい選択ですね。カンタのおばあちゃんは実はもともとはこの家の女中だったのかも?なんて話も。作中では明らかにする必要がなかった設定ということですが、そう聞くと、ほぼ何もないがらんとした和室や、お家の勝手を知っているかのようなおばあちゃんの立ち居振る舞いも納得できます。

5. トトロは何歳?

トトロの年齢。みなさん、考えたことはありますか?これにも実は設定があり、なんと三千歳。宮崎監督はこんな風に語っています。「トトロも縄文人から縄文土器を習って、江戸時代に遊んだ男の子をマネしてコマ回しをやっているんでしょう(笑)。トトロは三千年も生きてますから、本人にとってはついこの間習ったことなんです。(中略)トトロはひょっとしたら、小さい時のバアちゃんとメイを同じ女の子だと思っているかもしれないんですよ(笑)」(出典:「ジブリの教科書3 となりのトトロ」P105-106/文春文庫)

さらにはこんなことも語っています。

「日本人は、どこか偉くなったら、愚かになって、呆然としてて、何かせこせこやってる人間たちを包んでくれる、そういう底知れぬ巨大な愚かさみたいなものが好きだと思うんです。例えば、西郷隆盛なんかそういうイメージがあるでしょう。その巨大な、愚かささえ漂いかねぬ、ぼーっとしている暗愚というのが、なんか僕は好きなんですよね。だから、トトロはあんな感じになったんですよ(笑)」(出典:「ジブリの教科書3 となりのトトロ」P104/文春文庫)

三千年前というと、日本では紀元前。マイペースなトトロはきっと、三千年前も、今でも変わらず、雨に喜び、ダンスを踊り、コマで風に乗ってどこかを飛んでいるのでしょうね。

6. 責任感の強いサツキと、サツキの涙で気がつくメイ

母が入院していることで自然と、姉ではなく、母に近い存在にならざるを得ないサツキ。お父さんやメイのお弁当作り、寂しくて小学校にきてしまったメイの子守などなど。その生活態度は小学6年生のそれには見えず、小さな頃からしっかりしなければいけなかった環境が、彼女を育てたようにも見て取れます。それでも病院でお母さんに髪を梳かれているときは安心した、甘えた子どもの表情に戻ってしまうのを見ると、やっぱりまだ甘えたい気持ちがあるのでしょう。メイは年齢的に母親に抱きつけるけど、サツキはきっと恥ずかしくて抱きつけないのです。そんな中メイはサツキにも100%の信頼を置いて甘えています。

しかし作中、いつもしっかりしていて頼れるお姉ちゃん、サツキが大声をあげて泣き出すところを見て、サツキの辛さ、母が危篤だという事の重大さに初めて気が付くメイ。大事なとうもろこしを持って、お母さん、そしてある意味姉も助けるために走り出す表情の凛々しさは、メイの成長が感じられます。実は、お母さんが帰ってきた後という設定のエンディングでは、サツキも子どもたちに混ざって、子どもらしい表情で遊びに参加している様子が描かれました。これはサツキのピンと張っていた糸が緩んだ証拠かもしれません。

7. トトロは「いるだけ」で良い

宮崎監督は、直接手助けしないのがトトロ。迷子のメイを探しに行くのもお手伝いだけで決して一緒には行かない、とインタビューで答えています。トトロは、メイが迷子になって泣いているサツキに同情はしません。けれど、たまたまネコバスも近くにいたから連れてってあげようかな、というくらいの感覚なのだそう。それでも、サツキとメイにとってはトトロが「存在している」とわかるだけで良いのです。印象的な彼女たちの言葉、「夢だけど、夢じゃなかった!」。これだけであんなに嬉しそうな顔をするのですから。きっと大きくなっても二人は、トトロに会えた思い出を宝物のように大切にするのでしょう。