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生い立ちから読み解く。ブラッド・ピットが描く未来像とは?

俳優を目指して多くの青年たちがハリウッドに集う中、一際目立つルックスを持っていたブラッド・ピット。少年時代から女子にモテモテだったというブラピなだけに、下積み時代は見た目だけでなかなか演技を評価される機会も少なかったようです。

ブラッドが俳優としてキャリアを積み上げていく中で、最も重視していたと思われるのはやはり演技力。常に前回とは違った、むしろ一度ついたイメージを払拭するかのように真逆の役柄に取り組んできました。

キャリア中盤からは映画製作会社「プランBエンターテインメント」を立ち上げ、プロデューサー業にも参入してきたブラッド。今後も俳優業と並行していくのか、気になるところ。今回はブラッドの生い立ちから現在までのキャリアを解説しながら彼が描く自身の未来像にも注目していきたいと思います。

マリアンヌ映画公式Instagramアカウント(@alliedmovie)より

【生い立ち】文武両道!女子にモテモテの少年〜青年時代

アメリカのオクラホマ州ショーニーで1963年12月18日に生まれたブラッド・ピットは、本名をウィリアム・ブラッドリー・ピットといい、敬虔なクリスチャンの両親のもとで育ちました。3人兄弟の長男で、弟ダグラス、妹ジュリーがいます。父ビルはトラック運送会社を経営し、母ジェーンは高校のカウンセラーでした。

ブラッドが生まれるとピット家はすぐにオクラホマ州からミズーリ州へ引っ越し、スプリングフィールドのオザークに居を構えました。ブラッドはここで高校まで過ごすことになります。6歳から聖歌隊に入り、高校でもコーラスに参加していたブラッド。実は聖歌隊のピアノ伴奏者が高校の演劇部のコーチになったために演劇部に入り、演技に目覚めていくきっかけになったようです。

キックアプー中学では部活動のバスケットボールに没頭、キックアプー高校では多彩な活動をしていました。生徒会にテニスや野球、弁論大会に出場するなど、当時から多才な様子がうかがえます。こんな文武両道のイケメンを女子が放っておくわけがありません!小学生のころからすでにモテモテだったようです。



【下積み時代】ルックスだけではないと証明したい!演技力を磨いた20年代

1982年にミズーリ大学コロンビア校に入学し、ジャーナリズムを専攻しました。どうやらこのころからブラピの肉体美は評判だったようで、シャツを脱いだ写真が学生用カレンダーに使用されたり、チャリティ・ストリップショーに出演したりと話題に事欠かない有名人だったそうです。

しかし将来に悩むあまり、なんと大学卒業までわずか2週間という時期に大学を中退し、突然ロサンゼルスへ!専攻のジャーナリズムとは違う、広告関係か映画関係の職に就きたいと思っていたようです。

ロスで芸術学校に入ったものの、生活のためのアルバイトをいくつも掛け持ちし、学校にはほとんど行かずに演技の勉強に没頭していました。その中で演技指導者ロイ・ロンドンに師事するチャンスを得ます。エージェント契約もし、リーバイスやケロッグなどのCMにも出演、テレビのゲスト出演や映画のエキストラの仕事も来るようになっていました。

リック
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正式な映画デビュー作は青春コメディ『ハッピー・トゥギャザー(1990年)』。そしてその前年には『リック(1997年)』で初主演を務めています。ところがこの作品は数奇なことに、ロケ地ユーゴスラビアで内戦によりフィルムが紛失。発見された9年後に全米公開された幻の初主演作となってしまいました。

20代後半は主にテレビ出演が目立ちます。ドラマ『グローリー・デイズ(1990年)』、ジュリエット・ルイスと初共演したテレビ映画『トゥルー・ブルース(1990年)』など、着実に演技にも役柄にも幅を広げつつありました。

注目され始めた90年代初期〜初主演映画も公開

テレビ出演でキャリアを築きつつあった1990年。『傷だらけのランナー(1990年)』で高校陸上部のエース・ランナー役を演じ再び映画界への足がかりを作ります。この作品の後、未成年の売春に関わり殺人を犯させる不良青年役で出演した『トゥルー・ブルース』も高い評価を得て、いよいよルックスだけでなく演技力でも注目され始めます。

初主演映画はジョニー・スエード【1993年】

ジョニー・スエード
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実質上の初主演作は『リック』ですが、先に公開された主演映画は『ジョニー・スエード』でした。ロカビリー歌手を目指している、大きなリーゼントがインパクト大の主人公ジョニーを演じています。

テルマ&ルイーズ【1991年】でのJ.D.役

テルマ&ルイーズ
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下積み時代に一番の突破口となった作品といえば、やはり『テルマ&ルイーズ』でのJ.D.役。テルマと一夜を過ごすイケメンのヒッチハイカーですが、実は強盗の常習犯でテルマとルイーズの行く末を悪い方へ誘ってしまうキーパーソンでもあります。「悪いヤツだったけど、あのイケメン誰?」と気になる存在で、少ない出演時間でも十分な印象を残しました。

ちなみにJ.D.とはジェームズ・ディーンの頭文字から取られたとのこと。度々"ジェームズ・ディーンを彷彿とさせる"という評判もあったブラッドにぴったりの役柄でした。

リバー・ランズ・スルー・イット【1993年】

リバー・ランズ・スルー・イット
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記憶にある人生初の映画がロバート・レッドフォード主演の『明日に向って撃て!(1970年)』だったというブラッド。俳優として共作する日が来た時はきっと感慨もひとしおだったのでは?

ロバート・レッドフォードが監督・製作を務めた『リバー・ランズ・スルー・イット』にポール役での出演を決め、そのナイーブな演技でブレイクを果たしました。レッドフォードとは2001年に『スパイ・ゲーム』で共演もしています。

転機となった3作!俳優のキャリアを押し上げた作品

『リバー・ランズ・スルー・イット』での好青年ポール役のイメージが定着してしまうことを恐れたのか、1993年に製作された『カリフォルニア』では真逆の殺人鬼アーリー役を選びます。同年『トゥルー・ロマンス』でも麻薬常習者フロイド役で出演し、ポールと同一人物が演じているとは思えないほどイメージが逆転しました。

そうして常に新しい役柄に挑戦していたブラッドに大きな転機が訪れます。立て続けに印象的な役柄にチャレンジする機会に恵まれたのです。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア【1994年】

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
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アン・ライス原作のヴァンパイア映画『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』で、トム・クルーズと共演することになります。役柄はトム演じるヴァンパイアのレスタトとともに永劫の時を生きる運命を選ばされた青年ルイ。

美しい長髪でゴシックな衣装に身を包み、いつも憂いをたたえた瞳をしているルイ役は、ブラッド自身はあまり気に入ってはいなかったようですが、この作品でさらにファン層を広げていきました。

セブン【1996年】

セブン
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デヴィッド・フィンチャー監督のクライム・サスペンス『セブン』で、七つの大罪になぞらえて起こる連続殺人事件を追う若手刑事ミルズを演じました。フィンチャー作品の暗いトーンによく合わせた抑えた演技が評価され、作品がヒットしたこともまた大きく注目されるきっかけとなりました。

実際、こんな抑揚のある感情表現ができる俳優だったということに、意外性を感じた観客も多かったのではないでしょうか?

12モンキーズ【1996年】

12モンキーズ
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しかし、さらに観客およびブラピファンを驚かせた作品が同年の『12モンキーズ』です。ブラッドが演じたのは物語をかき乱す精神病患者ゴインズ。まるで本当に精神を病んでいるかのような眼が、とても印象的です。

テリー・ギリアム監督は役者本人とは反対の役柄を与えることを良しとする人物でしたが、アイドル的存在から抜け出そうとしていたブラッドの出演を初めは不安に思っていたようです。ところが見事にゴインズを演じきり、この作品で初のゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞しました。

肉体派俳優として〜ブラピの肉体美を堪能できる!

バリー・レヴィンソン監督の『スリーパーズ(1997年)』、ハリソン・フォードと共演した『デビル(1997年)』、ジャン=ジャック・アノー監督の『セブン・イヤーズ・イン・チベット(1997年)』と次々と才能ある監督や大物俳優たちと共演する機会を得ていきます。

1998年にはアンソニー・ホプキンスとの共演作『ジョー・ブラックをよろしく』も公開。しかし90年代後半は大ヒットし高評価につながる作品は多くはなく、第2のブレイク時期といえる2000年代を待つことになります。

ファイト・クラブ【1999年】

ファイト・クラブ
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ブラッドが一押しの肉体美を惜しげもなく披露した『ファイト・クラブ』は、その奇抜な発想、スタイリッシュな映像、そして素晴らしい演技者たちによってカルト的人気を獲得しました。

デヴィッド・フィンチャーとは『セブン』以来2回目の共作となり、今作を模倣した暴力事件が各地で発生するなど社会現象を起こしました。謎の男タイラーを演じたブラッド自身も、あまりにも作品の印象が強すぎたのか、知らない若者に突然喧嘩を売られて殴られるという被害にもあっています。

スナッチ【2001年】

スナッチ
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『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ(1998年)』を見てガイ・リッチー監督作の出演を熱望し、ギャラを下げて特別待遇なしで次作『スナッチ』に出演することになります。

『ファイト・クラブ』で見せつけた肉体派をここでも再び披露!今度は全身刺青に無精ひげの賭けボクサー、流浪の民パイキーのミッキー役。パイキーたちはイギリス人も理解不能のアイルランド訛りを話すため、アメリカ人のブラッドは思い切り訳の分からない言葉を早口でしゃべっています。

トロイ【2004年】

トロイ
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ついに満を持して、鍛えた身体を最大限に活かせる役柄を演じることになります。『トロイ』では、ギリシャ神話にも登場する勇将アキレス役をスタントなしで臨みました。ところが撮影中になんとアキレス腱を負傷するという事故が!アキレス役だけにシャレにならないのですが、それ以外にも宿敵ヘクトル役のエリック・バナと1対1で戦うシーンでも傷が絶えなかったといいます。

それでもウォルフガング・ペーターゼン監督によるこの歴史大作への出演経験は、アクション演技を含めて大きな飛躍となったことは間違いないでしょう。

【交友関係】オーシャンズ11とロバート・レッドフォード

『リバー・ランズ・スルー・イット』で出会ったロバート・レッドフォードは、"師匠でありもう1人の父親"というほど尊敬する人物。『スパイ・ゲーム』で初共演した時も、奇しくも師弟関係にある役柄でした。監督・製作・主演をこなす俳優としての先駆者であり先輩、そんな師がいたからこそ、プロデューサー業にも進出できたのでしょうか。

オーシャンズ11
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また大ヒットシリーズとなった『オーシャンズ11(2002年)』、『オーシャンズ12(2005年)』、『オーシャンズ13(2007年)』で共演してきたジョージ・クルーニーとは親友という間柄。実は『テルマ&ルイーズ』のオーディションでJ.D.役を争った仲でもあります。

オーシャンズ・ファミリーは監督のスティーブン・ソダーバーグを含め皆仲が良く、いつも愉快な現場だったといいます。ブラッドはソダーバーグ監督の『フル・フロンタル(2003年)』でブラッド・ピット役として出演したり、クルーニーが監督した『コンフェッション(2002年)』にもカメオ出演しています。

2度の結婚と離婚〜ジェニファーとアンジェリーナ

下積み時代から共演者との恋愛が度々噂されてきたブラッド。『トゥルー・ブルース』で初共演したジュリエット・ルイスとはその撮影後から同棲を始めましたが、『カリフォルニア』で再共演した後に別れています。

『セブン』で夫婦役で共演したグウィネス・パルトローとは撮影中に恋愛に発展。なんとブラッドは4回もプロポーズしたようですが、残念ながら婚約したのもつかの間、解消してしまいました。その後すぐ、テレビシリーズ『フレンズ』に主演していたジェニファー・アニストンと出会います。

ジェニファー・アニストンとの出会いと別れ

もともと『フレンズ』のファンだったというブラッドが、知人の紹介で知り合ったジェニファー。グウィネス・パルトローとの交際時にパパラッチに辟易していたため、ジェニファーとの交際も極秘で2000年にマリブで行われた結婚式もマスコミ取材なしで行いました。ハリウッドでは成功したビッグ・カップルとして知られていた2人ですが、2005年1月に突然離婚を発表しました。

Mr.&Mrs.スミス
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2005年といえば、アンジェリーナ・ジョリーと共演した『Mr.&Mrs.スミス』が公開した年。この共演から"ブランジェリーナ"と呼ばれる熱愛関係に発展しました。

ブランジェリーナの慈善活動

2005年から交際を始めたブランジェリーナには、実子の娘が2006年に生まれた時点ですでに養子を含めて3人の子どもいました。2007年には新たに1人を養子縁組し、2008年に双子を出産、わずかな間になんと子ども6人の大所帯となります。

2人が慈善活動に意欲的に取り組んできたことはよく知られていますが、2006年には「ジョリー・ピット基金」を設立し、子どもたちを貧困とエイズ蔓延から守るため寄付を継続的に行ってきました。ブラッドのチャリティへの献身は、厳格で信仰深い両親のもとで育まれ、アンジェリーナと出会ったことで結実したといえるのかもしれません。

そんな模範的なハリウッドスターカップルのブランジェリーナでしたが、2016年9月に突然アンジェリーナが離婚を申請。交際から7年間は事実婚の状態で、2012年に婚約、2014年にようやく結婚したばかりでした。原因は「和解しがたい不和」。おそらくは子育て方針の違いだと思われますが、子ども好きなブラッドが突然大所帯の賑やかな家庭を失ったことは大きな痛手としかいえませんね。

鬼才と呼ばれる監督たちとの出会い

ベンジャミン・バトン 数奇な人生
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アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督とは『バベル(2007年)』、コーエン兄弟とは『バーン・アフター・リーディング(2009年)』、デヴィッド・フィンチャー監督と『ベンジャミン・バトン 数奇な人生(2009年)』で3度目のと共作を経て、『ツリー・オブ・ライフ(2011年)』ではテレンス・マリック監督と出会いました。それぞれ一癖も二癖もある名監督ばかりです。

相変わらずのチャレンジ精神でどの作品でも似たような役柄はひとつもなく、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』では老人で生まれて若返っていくという難役を、老年期から青年期まで特殊メイクで演じきりました。

【戦う男】戦争映画が増えてきた?ゾンビとも戦う!

ワールド・ウォーZ
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『イングロリアス・バスターズ(2009年)』でのアルド・レイン中尉、『ワールド・ウォーZ(2013年)』でのゾンビと戦う元国連職員ジェリー・レイン、『フューリー(2014年)』でのドン・"ウォーダディー"・コリアー車長、そして『ウォー・マシーン:戦争は話術だ!(2017年)』でのグレン・マクマーン大将と、なぜだか戦争映画出演が目立つ近年。

クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』以外はすべて、製作も手掛けています。しかも『フューリー』については製作総指揮にも名を連ねており、本物の戦車を撮影に使用したりと、その意気込みが伺い知れます。

また自身の映画製作会社「プランBエンターテイメント」が制作した『ワールド・ウォーZ』の続編は、なんとデヴィッド・フィンチャーが監督を務めることになったようです。ゾンビ映画で4度目のタッグとは驚きですね!

プロデューサーとして〜プランBエンターテインメント

2002年に設立した映画製作会社「プランBエンターテインメント」。当時は妻ジェニファーとパラマウント・ピクチャーズCEOとなるブラッド・グレイとともに経営していましたが、ジェニファーと離婚後の2006年からはブラッド個人が所有者となっています。

立ち上げ当初に製作したのは『トロイ(2004年)』。次にジョニー・デップ主演の『チャーリーとチョコレート工場(2005年)』、続けてレオナルド・ディカプリオとマット・デイモン主演の『ディパーテッド(2007年)』を手掛けました。

アンジェリーナ・ジョリーと順調な生活を送っていた2007年には、アンジー主演の『マイティ・ハート/愛と絆』を製作。また自身の主演作『ジェシー・ジェームズの暗殺(2008年)』で念願だった企画を実現させました。

マネーボール
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その後も主演で演技も評価された『マネーボール(2011年)』や、脇を固める名演技を見せた『マネー・ショート 華麗なる大逆転(2016年)』も製作兼出演として活躍。『それでも夜は明ける(2014年)』と『ムーンライト(2017年)』ではアカデミー賞作品賞を受賞し壇上にも上がりました。実はこれまでに『ディパーテッド』を含め、作品賞を3度も受賞しているのです!

2018年1月27日に公開される、伝説の探検家パーシー・フォーセットの人生を描いた『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』でも製作総指揮を務めており、これからもどんな作品を製作していくのかが気になるところです。

最後に

『ウォー・マシーン:戦争は話術だ!』をNetflixと製作したことは、ブラッドにとって新たな映画のあり方を模索していくひとつの手段として、かなり有益な体験だったようです。確かにNetflixは劇場でのヒットや収益ばかりを念頭に製作せずとも、さまざまなマイナーなチャレンジが叶うメディアなのかもしれません。

演じる側であっても製作する側であっても常にチャレンジ精神を忘れず、本当に心から作ろうと思う優れた作品に携わりたいと願うからこそ、同じ理念を持って向き合えているのでしょう。今後ももちろん俳優として、また製作者としてのブラッド・ピットにも大きな期待が持たれています。

参考文献:『PIA VINTAGE COLLECTION#2 Brad Pitt』